★高校生からの質問 Part7★
「“自分を愛する”事が何故一番大切なのか。何となくわかる気もするが、“他人(ひと)を愛する”事の方が大切な気もする」のですが?
私が牧師を養成する神学校を出て、最初に働いた教会は東京の下町にある小さな教会でした。1969年4月からでした。その教会にはキリスト教主義の中・高の宗教主任をしておられた先生がいましたが、神学校出たての私がその教会の主任牧師として迎えられました。その教会にも青年会があり、数名の青年が集まって聖書の話をすることもありました。ある時「隣人愛について」話し合っていました。すると一人の青年が突然「自分をさえ愛することができないのに、隣人を愛するなどできるはずがない」と、ぼそっと独り言のように言いました。
私は牧師になったばかりでしたし、突然のその青年の言葉に圧倒されて、何も答えることが出来ませんでした。答えることができないばかりか、自分の心の中では「なるほどなー」とこの青年の言葉に感服してしまっていたのです。
自分自身をさえ愛することができなくて、死にたいとばかり思っている人が、どうして隣人を愛することが出来るでしょうか? 本当にそうだと思います。
ただ不思議なことが起こる場合もあります。ある人が自分自身をさえ愛することが出来なくて、死にたい、死にたいと、自分の自殺の場所を探して川の堤防を歩いていたときに、小さな子どもが川に落ちて溺れそうになっているのを見て、その人が必死で溺れかけている子どもを助けたということがあったとします。そのような時、溺れかけていた子どもから、命の大切さに気づかされて、死に場所を求めていたその人がもう一度生きてみようと思い直すということがあるというのです。
ですから、自分を愛することと他人(ひと)を愛することは、別々のことではなく、どこかで繋がっているのではないでしょうか。自分を愛することができる人が他人(ひと)を愛することができ、他人(ひと)を愛することができる人が自分を愛することができるということではないでしょうか。
私は高校生に「愛する」ということは「大切にする」ことだとお話しました。人は自分が誰かに大切にされることによって、自分の大切さに気づかされます。私はイエスによって自分が本当に大切にされているということを知りました。そのイエスは他人(ひと)も私と同じように大切にされています。だから、自分も他人(ひと)も大切なのだと、私は信じています。