なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

自分を愛するとは?

★高校生からの質問 Part6★
「人は自分を愛してこそ、自尊心をもつことができると先生はおっしゃいましたが、他人に自分の存在を認めてもらってこそ、自分を愛することができるのではないですか。また、自尊心と自己愛というのはどこに境界線があるのでしょうか?」

大変鋭い質問をありがとうございました。「他人に自分の存在を認めてもらってこそ、自分を愛することができる」というのは、その通りです。ですから、幼いときに親から虐待を受けたことのある人が、自分を愛し自尊感情をなかなかもてないで苦しむということをよく聞きます。そのために自分が親になったときに、幼いときに自分の受けた虐待を自分の子どもに向けてしまうということも聞きます。

ある人は、お母さんの体内にいる時期から生まれて一年位の間に、その赤ちゃんが母親や周りの大人から徹底的に受容されていたとすれば、その子が少年期、思春期になったときにも、いろいろな誘惑や試練を乗り越えて、まっすぐに生きていくことが出来るという趣旨のことを言っています。

おしっこやウンチをおしめにしても、そのまま長い間ほっぽりぱなしにされる赤ちゃんは、不快感を通して自分が受け入れられていないことを体で感じるでしょう。おなかがすいてオギャア、オギャアと泣いても、お乳やミルクをなかなかもらえない赤ちゃんも同じでしょう。そして自己肯定感を欠いたまま成長した人は、どこかに自分なんていなかった方がよかったのでは、という自尊感情の欠如を抱えてしまうに違いありません。そういう幼いときの心の傷を癒す可能性は、大人になってからでもないとは言えませんが、なかなか難しいことは確かです。そういう意味であなたの仰るとおりです。

自尊心と自己愛との違いですが、私はこのように考えています。自尊心(自尊感情と言った方がよいかも)を持つ人は、「多く愛された人は多く愛することができる」といわれていますように、自分のことばかりではなく他の人のことも考えられ、他者に自分を開くことが出来るのではないでしょうか。ところが、自己愛(ナルシズム)は自分の方へ閉じていくことが強く、他者に対しても自分を閉じている場合が多いのではないでしょうか。

その人の関心が向かうベクトルが、自尊感情の豊かな人と自己愛の人では逆向きのように私には思えるのです。お答えになったかどうか分かりませんが、参考にしていただければ、うれしく思います。