なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

基地はいらない

しばらく忙しくしていましたので、ブログ日記を書けませんでした。ゴメンナサイ。

6月11日〔日〕から3日間、沖縄の基地問題を考えるキリスト教関係の有志の全国会議が横浜であり、その実行委員会の責任を私が負っていたからです。70名強の参加者が全国からあり、この会議に続いて2日目午後には横須賀の米軍基地を海から船をチャーターして見る会と、3日目午前中には厚木・座間米軍基地及び相模補給廠を見る会を計画していましたので、パソコンにゆっくりと向かうことができませんでした。

この会に沖縄から一人の牧師がふらっと参加してくれました。その牧師さんには無理なお願いをして、前日から横浜に来ていただき、11日の会が午後6時からでしたので、私の所属する教会で朝の日曜礼拝の説教をお願いしました。

沖縄は日本のアジアへの侵略戦争によって端を発した太平洋戦争において、唯一日本の中で地上戦が行われたところです。沖縄にいた日本軍兵士は沖縄の民衆を進攻する米軍の盾にして戦闘を続け、沖縄と沖縄の民衆を犠牲にして天皇制と日本本土を守ろうとしました。戦後天皇の戦争責任は不問にされ、象徴天皇制という形で天皇制は存続し現在に至っています。一方沖縄は戦後アメリカの統治下に置かれ、日本から切り捨てられ、米軍基地が沖縄の各地に作られ、アメリカの世界戦略の要石とされてきました。1972年の日本復帰後もその状態は全く変わらず、最近の米軍再編と日米軍事同盟の強化は、恒久的に沖縄を米軍と自衛隊の基地の要塞にしようとしているかのようです。普天間基地返還に代わる辺野古崎沿岸案はそのことを如実に示しています。

上記の沖縄の牧師さんは、沖縄にある米軍基地から朝鮮戦争ベトナム戦争湾岸戦争アフガニスタン攻撃、イラク攻撃にアメリカ軍が飛び立って行き、世界の各地で殺戮と破壊を行っていることに耐えられないと言われます。かつての沖縄戦では被害者であった自分たちが沖縄に米軍基地を置く限り加害者になっているわけだから、基地撤去を求めることは、人権と平和を本当に大切にするならば当然であり、そのために命をかけなければならないと。

このブログでも、人は何に命をかけて命を使うのか(使命)について何度か触れてきました。沖縄の牧師さんからの問いかけを受けて、私自身自分なりにこの課題を担っていきたいと思っています。基地のない世界が来ますように!