なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

貸与された生

★高校生からの質問 Part8★
「この世界が私の生きるに値する場所だとどうして分かるのでしょうか? 私はこの世の中に生きるに値する人間なのか・・・・完全無欠の答えがほしい」

しばらく高校生からの質問を休んでいました。再開しようと思って、取り上げたのがこの質問です。この世界があなたの生きるに値する場所かどうか。また、あなたがこの世に生きるに値する人間なのかどうか。一体誰がそれを決めることが出来るのでしょうか。

第二次世界大戦におけるヒットラーによるユダヤ人虐殺のことは知っていますよね。アウシュビッツ強制収容所は有名です。600万人のユダヤ人がガス室に送り込まれて虐殺されたと言われています。600万人のユダヤ人を虐殺したヒットラーは、ユダヤ人はこの世にいてはならないと考えました。何故ならユダヤ人は神に選ばれた選民であると自らを考えていましたし、聖書の中にもそういう選民思想があり、ユダヤ人が特別な存在のように思われていたからです。ゲルマン人であるドイツ人が神聖な存在であることを示すためには、そのようなユダヤ人の存在は目の上のこぶに等しかったのでしょう。だからと言ってユダヤ人を虐殺するなんて、ヒトッラーはおかしいと思いませんか。

この世界が私たちの生きるに値する場所かどうか、また、私たちがこの世に生きるに値する人間かどうかを決めるのは、あなたを含めてどんな人であっても、人間である以上誰も自分では決められないと、私は思っています。だって、そのことを考え悩むあなたは既にこの世界に生きているのですから。

この世に生きているあなたは自分が選んでこの世に生まれたのではありませんね。気がついたら生まれていたのでしょう。文法的には「生まれさせられた」と言った方が表現としては正確です。つまり「生かされて生きている」、これがすべての人間の基本的な姿です。受動の「生かされて」と能動の「生きる」が重なっているので、人間の生は受動的能動と言えるかも知れません。

私は聖書から素朴に私たちの生は神さまから「貸与」されたものだと信じています。たまたまこの私に神さまが貸与してくれた生なのだから、この世で生きるのが苦しく不安になることもあっても、神さまがなんとかしてくれるだろうから生きていこうと思って、64歳になってしまいました。

そしてこの自然世界も神の創造した美しい世界です。ただこの世の中(社会)は自分が世界の中心でもあるかのような権力者やお金持ちの人たちがのさばっていますので、神の美しい世界とは言えませんが、でも人が助け合い支え合って生きる世界は美しいですよ。

神から貸与されたあなたの生を大切に生きて、すべての人が生きるに値する社会を創造する営みにあなたも参与してください。