なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(54)

 昨日は朝9時前に鶴巻の家を出て足立区の足立斎場に行きました。斎場に着いたのが11時で、私の最初の任地である足立梅田教会のKさんの葬儀式が11時半から始まりました。足立梅田教会は足立区本木町に昭和初期にアメリカ人宣教師によって設立されたセツルメントの愛恵学園に、戦後に集まった青年たちが近くに教会をということで設立された教会です。この日も葬儀に見えておられました現在87歳になりますK牧師が、神学生時代に愛恵学園に毎週日曜日午後に来て、高校生や青年たちの指導をしていました。K牧師は当時浅野順一先生がおられた美竹教会のメンバーで、k牧師にお願いされた当時浅野先生の下で青山学院中高の宗教主任と美竹教会の副牧師をしていた故藤村靖一先生が、本木の近く梅田町に自宅を建てて移り住み、先生の自宅を解放して、既にある方の家で始まっていました愛恵学園の青年たちを中心とした集会を引き継ぎ、足立梅田教会になりました。設立は1951年(昭和26年)です。kさんはそのはじめからの足立梅田教会のメンバーでした。私が足立梅田教会の牧師をしていましたのは、1969年から1974年までです。神学校の最終学年には既に日曜日足立梅田教会に出席していましたので、実質6年間足立梅田教会にいたことになります。足立梅田教会創立から20年目前後の6年間です。当時kさんは40歳前後の働き盛りでした。Kさんと同じ世代の人たちが当時の足立梅田教会を支えていました。しかし、昨日のKさんの葬儀にはその中のお一人だけした出席していませんでした。しみじみと私たちの世代もこの世の旅路の終わりが近づいていることを実感しました。

 さて、今日も父北村雨垂とその作品(53)を掲載します。以下の父の作品ノートでは、完成された句だけではなく、そのプロセスの実験的な句も記されているように思われます。句の前に「研」(多分「川柳研究」に発表したものではないかと思います)や「む」と記されてものがありますが、それらの句は川柳誌に投稿したものではないかと思われます。この中の句に、「創世記にもたい風があるそうな」という句がありますが、父は聖書にも目を通していたのかも知れません。

         父北村雨垂とその作品(54)

   能面に舞台に辞書十万語に舞台

   ほこりを浴びて造花たそがれ

   (ほこりを浴びて造花蜘蛛の昼寝(ヒルネ))

研  越しかたのその深淵に掌をかざす

   蟻の働きの知らぬ造反

研  親鳥を確かに抱いている卵(タマゴ)

*  自覚の模型原子水素の模型

む  カーと啼く鴉がとまる案山子の面

   能面の舞台自覚の模型にて候

研  燃える氷河のコーラスを聞く

研  蛇を噛み切る血みどろの芯

   創世記にもたい風があるそうな

   くるくる日傘 天国と地獄

   ピエロにみせる白い猿の歯

   画布に躍る死臭を砂漠に描く
 
   抽象画家
  
   躍る死臭をもえる砂漠に描くがよい

研  能面は自覚を自問自答せよ

研  砂漠の画布の躍る死臭を描く時間

研  杜の鴉は議事堂を見に来たか

   クルクル絵日傘天国と地獄

研  悲願の分裂の山門の蜘蛛の晝寝

   天国地ごくピエロと並ぶ花屋の花

   反乱の風景をみた蝸牛

   夕やけ小やけ竜胆は駆けおりる

   夕焼けに鴉のとまる案山子の面

研  絶望を握る廣場の腕時計

研  猿がピエロにみせる白い歯

研  悲願の分裂の山門の蜘蛛の晝寝

研  ジグザクに赤旗走る草いきれ

   原色に狂人秋をまっしぐら

   アルバムを伏せて戦く手を鎮め

   さめざめと秋をささやく木(コ)末(ズエ)より

   (さめざめと秋をささやく蜘蛛のひるね)

研  にじをみる鴉のとまる案山子の面

研  竜胆は花屋で夕焼をみたか

   竜胆の孤獨は山を駆けおりる

研  遠吠えは豪雨を走る秋刀魚の骨

研  花屋の菊も装(ウイ)飾窓(ンドウ)の猫も醉拂い

研  悲鳴を奪われ臓器を奪われ肉屋の鉤

   水の流れを橋が見ている乞食の(笠)旅

              旅の乞食