なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

「私の『免職問題』とは何か?」(その2)と黙想と祈りの夕べ通信(84、復刻版)

            「私の『戒規免職』問題とは何か?」(その2)

  質問への応答から

・宗教としてのキリスト教の中には、現実のことが現実として受け止められないで、教理や教えが眞理だと考える傾向がある。それだと、人間が苦しんでいる問題は虚構のように思われて見過ごされる。あらゆる宗教にこういうひっくり返りがある。それが大きな問題。苦しんでいる人ほど、それから逃れるために教理の方に惹かれて現実を忘れようとするロジックがある。キリスト教がイエスや聖書にこだわるのは、それを超えて帰って行くところがあるということ。イエスだったらどうするのかと立ち戻っていくところがある。

・若い時の人との出会いということだが、私の場合は牧師になって最初の教会で、廃品回収の仕事をしている人たちと深く関わり、学ぶことが多かった。この体験がなかったら鼻持ちならない牧師になっていただろう。

・聖書の中には閉じられた聖餐の根拠はない。受洗者に限る聖餐は教会伝統の中で造られたもので、二世紀の始めの書物に初めて出てくる。合同教会である日本基督教団においてそういう一つの秩序があり得るのか。合意形成の方法ができていない。教憲・教規もそれぞれがきちんと合意してできたとは言えない。宗教団体法ができ、国の圧力で各教派が加わったのが教団だ。とはいえ、こうして成り立った教団で自分は信仰に導かれたことを大切にしたい。もともと多様なものを持った集団で、一つの法秩序・法体系を持った集団ではない。形成途上の教会だ。1941年の合同の歴史を負っていることへの責任があるからだ。


           「黙想と祈りの夕べ通信(84、復刻版)」

 以下は、11年前紅葉坂教会時代に関田寛雄牧師をお呼びして礼拝説教をしていただいたときの感想です。通常はお名前を伏せていますが、今回は関田先生のお名前をそのまま載せさせていただきます。ご了承ください。不思議なことに、関田寛雄先生は私の裁判の支援会世話人代表を引き受けてくださっています。

 私が昨年3月末に紅葉坂教会を辞してから、昨年9月に紅葉坂教会の牧師休暇の日曜日に関田先生が紅葉坂教会の礼拝説教を担当してくださったようです。その時、私の戒規免職問題にも触れて、「それをしちゃあおしめえよ」という寅さんのセリフを出して、教団の行き過ぎを批判したそうです。それを聞いた紅葉坂教会の信徒の方は、関田先生の言い方で、私が戒規免職を不当として教団を相手に裁判を起こすことが納得できたという方が多かったと言っていました。それまでは紅葉坂教会の方々の中にも、なぜ私が裁判まで起こすのかということについて、すっきりしなかった人がかなりいたのでしょう。

 その裁判がいよいよ始まろうとしています。

           黙想と祈りの夕べ(通信 84[-32] 2001・5・6発行)

 関田先生に礼拝説教をしていただいてよかった。教会とは何かについて、先生の説教を伺って理解できた。イエスを主とする信仰と神の赦しによって証しするところに教会があることを伝えてもらった。先生はお話の中で何度か、「教会として立つ時も倒れる時も」と言われたのが印象的だった。私たちは、教会が立つ時だけを言いがちだが、倒れることも、立つことと同じ意義をもっていること。関田先生の言葉を、倒れることによって立つという風に、自分は受け取ったが、それでいいのだろうか。教会が守りに入ることによって死に、死ぬことによって生きることにつながるのではないか。関田先生に来ていただいて感謝である。

 上記のような一人の姉妹の発言に続いて、「分かち合い」では、当日の礼拝での関田先生の説教から考えさせられたという発言がさらに二人からありました。

 一人の姉妹は、関田先生は個人史の中から道が与えられて在日の人と対等に交わることができたと思う。先生が戸手の河川敷の在日の方の家を買おうとしたときに、最初教会の人たちは反対で、一人の神学生だけが賛成したと言う。先生のお話を聞きながら、個人と教会について考えさせられた。かつて朗読をしていたときに、声のきれいた人がいいですねと言われる方が多かった。自分も低い声なのでそう思った。けれども、群読ではいろいろな声が共鳴して、どんな声の人もかけがえないと感じる。教会に集う一人一人がその人なりに生きていることで、私は無条件に感動する。関田先生ご自身独特の固有の歩みをしておられる。教会のメンバ-もみんな一人一人独特で固有な賜物を与えられていると思う。ところが、教会には時代や社会の中で誤った歴史がある。教会のメンバ-個々人はみんな独自な存在だが、教会としては誤ることがある。神の赦しと憐れみを受けつつ、個々人の独自性や個性だけではなく、教会として歴史の中で流されるのではなく、正しい道を選択するにはどうしたらよいかということを考えさせられた。

 また別の兄弟が、関田先生の説教をこの教会で聞けることが不思議なように思えた。礼拝の後で有志による関田先生を囲む会が、泰華楼であった。自分も出席したが、食事を先生と一緒にしていて、先生が自分の重荷を負って生きていることを感じた(先生は食事の時に、先生の働きの原点になっているものは何かという質問に対して、ご自身の個人史における小さいときの継母との折り合いの悪さや牧師の子として育った当時の牧師家庭の貧しさについて話された)。先生が惹かれる寅さんにもそのような痛みがある。自分が前に出席していた川崎の教会は、関田先生が築かれた戸手伝道所(現在は川崎戸手教会)の近くにあった。以前神奈川教区の青年の集会が川崎戸手教会のヨルダン寮で行われたときに、自分も出席した。戸手の河川敷の堤防の川側に在日の方々の家がある。差別であるということをしみじみと感じさせられた。そのことで自分が行っていた川崎の教会の牧師とも話したことがある。教会は白く塗られた墓ではないかと感じたこともある。この川崎戸手教会のヨルダン寮での青年集会に出席したことを契機に、自分自身は社会との交わりが教会には必要だと感じるようになった。神と自分との垂直な関係だけではなく、社会との水平の関わりも大切であることを、川崎戸手教会から感じるようになったと。

 この日は期せずして、礼拝での関田先生の説教に対する反応・応答が3人の方からありました。