マルコ福音書による説教()、マルコによる福音書12:1-12、
・船越教会は二面が崖に囲まれ緑が豊かです。しかし冬の間は常緑樹の木が数本ありますが、後は枯れ草で覆われていて、土色に近い状態でした。しかし、今は緑が一杯です。冬の間死んだような状態から今は生命に溢れている感じです。死から命へという変化が感じられます。イエスの十字架と復活も死から命へという神のみ業です。
・今日のマルコ福音書12章1節以下の農夫の譬え話は、マルコによる福音書の前後の文脈の中で読むとき、神に反抗する人の勢力によって、イエスが十字架にかけられて殺され、三日目に復活されたという、イエスの十字架と復活の出来事が暗示されているように思われます。
・この農夫の譬えそのものは、これが語られたイエスの聞き手であったユダヤの人々にとっては、この譬えの背後の意味をつかむのは簡単でした。ぶどう園の主人は神を表しています。また、ぶどう園そのものはイスラエルの民を表しています。農夫はその民の支配者・指導者のことです。この譬えの詳細な点や言葉は、先程司会者に読んでいただきました旧約聖書のイザヤ書5章1-7節から取られています。この主人が派遣した「しもべたち」とは預言者たちのことです。「愛する息子」はイエスのことです。
・この譬え話にあるようなことは、イエスの時代のパレスチナでは実際によく起った出来事であったと言われます。イエス時代のパレスチナには、多くの不安定な労働者階級の人たちと不在地主たちがいました。そのようなぶどう園の主人は、パレスチナよりももっと気持ちの良い土地を求めていたユダヤ人、あるいはぶどう園に投資していたロ-マ人でした。ユダヤの定め(律法)に従えば、主人はぶどう園を始めてから5年後に、最初の小作料をとり立てることができました(レビ記19:23-25)。そのような場合、小作料は現物で支払われました。ですから、この譬え話は、単なる想像ではなく、実際に起こり得た事件を背景に語られていると考えられます。
・エレミヤスはこのように記しています。「外国にいる富裕な地主と貧しい小作人との間には、4、5年の間はほとんど収穫がないので、衝突は殊に多かった。息子を送るということは、彼だけが父に代わる法的全権を持っているので、十分考えられることである。この息子を殺して、財産を手に入れるという考えも、まったく不条理なことではない。なぜなら、主人のいなくなった土地を『代わって管理する』ことが可能であったからである。パレスチナにおける革命的な世情が、すでにイエスにおいても、この物語の背景をなしていたかも知れない」と。
・6節に出てくるぶどう園の所有者の「愛する息子」とは、先ほども申し上げましたように、イエスを指していると考えられます。また、10、11節にあります、おそらく元来の譬えに後から付け加えられた言葉は、詩編118篇22-23節からの引用で、「あらゆる敵対者に対する復活の勝利を声高らかに証言する旧約聖書の言葉」として、イエスの十字架と復活を言い表わしていると思われます。マルコによる福音書の著者は、この譬えを、イエスがその敵対者に語ったものとして述べているのです。
・12節には、「彼らは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。それで、イエスをその場に残して立ち去った」とあります。この彼らとは、11章27節以下の「権威」をめぐる論争において、やはり「群衆を恐れていた」(11:32)「祭司長、律法学者、長老たち」です。ですから、この譬えに出てきます「悪しき農夫」とは、ユダヤ人の指導層の人たちを直接的には指して語られていると考えられます。そのような彼らユダヤ人の指導者たちは、ここで譬えられているような「悪しき農夫」のような者だというのです。もちろん、彼ら自身は、自分たちのことを「悪しき農夫」とは思っていなかったでしょう。むしろ、自分たちこそ正統なユダヤ人として、指導者としてふさわしい者であるという自負さえもっていたのではないかと思われます。けれども、この譬えでは、イエスはそのような彼らを「悪しき農夫」と言ってはばかりませんでした。そして、イエスが見ていたような自分たちの問題性を、彼らユダヤ人の指導者をもって任じていた人たちは自ら感じることすらできなかったのだと思います。
・人に多くの被害を与えながら、その本人はそのことを気づいていないばかりか、自分は間
違ったことはしていないだけではなく、みんなのために立派に働いているのだということになるわけですから、その人から被害を受けている人はたまったものではありません。
・この譬えに出てきます「農夫」に当たる人たちは、実際どう生きていたのでしょうか。農夫たちは、ぶどう園を貸与されています。ぶどう園については、「ある人がぶどう園を作り、垣を巡らし、搾り場を堀り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た」(12:1)と言われています。これはイザヤ書5章1節以下に基づいて記されていると思われますが、イザヤ書では、ぶどう園を作る労苦が生き生きと記されています。「よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。/その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを堀り/良いぶどうが実るのを待った」(5:2)。
・農夫たちに貸与されたぶどう園は、それを作るのに大変な労苦があったもので、ぶどう園が貸し与えられたことに恵みの豊かさが示されていると思われます。つまり、農夫たちが生き得るためには、神の大きな配慮があるのだというのです。古代社会では、生産の初物が祭壇に捧げられて、自分たちの生産活動そのものが恩寵の中でのものであるとの自覚が意識されていましたが、今日では、そのような意識すら失われて、人間の当然の権利の主張がぶつかり会って、権力をめぐって闘争が繰り返されているわけです。
・ちょうど農夫たちが、神から派遣さる者たちをつぎつぎに排斥し、殺戮することによって、そしてついにはその「愛する息子」さえ殺し、「ぶどう園の外に投げ捨てる」ことによって、ぶどう園を私物化するのに似ていないでしょうか。神によって貸与されているぶどう園を自らの財産として、その主人となった人間は、そこで何をするのでしょうか。強い者が弱い者を支配するという、その根底には権力をめぐって闘争が行われる社会を作り出すのです。弱い者は、その社会秩序の中に受け身の形でいて、自分からは何もする自由を持てない者として、その支配に従順な者として生きる以外にないかのごとき状況の中に置かれるのです。あの本来の所有者の労苦によって良い地に整えられたぶどう園は、悪しき農夫たちにまかされるとき、あのイザヤの叫びが現実のものとなるわけです。
・「イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑/主が楽しんで植えられたのはユダの人々。/主は裁き(ミシュパト)を待っておられたのに/見よ、流血(ミスパハ)。/正義(ツェダカ)を待っておられたのに/見よ、叫喚(きょうかん、ツェアカ)。」(イザヤ5:7)。
・「災いだ、家に家を重ね、畑に畑を加える者は。/お前たちは余地を残さぬまでに/この地を独り占めにしている。」(イザヤ5:8)。
・「災いだ、朝早くから濃い酒をあおり/夜更けまで酒に身を焼かれる者は。/酒宴には琴と竪琴、太鼓と笛をそろえている。/だが、主の働きに目を留めず/御手の業を見ようともしない。」(イザヤ5:11-12)。
・「このぶどう園の主人は、どうするだろうか。戻って来て農夫たちを殺し、ぶどう園を他の人に与えるにちがいない」(9節)。ユダヤ人から異邦人へ。「この譬え話は、イスラエルを越えて諸民族の世界へ進み行く神の歴史とその道をこのように描いているのである」のかもしれません。寓話的に解釈するなら、他の人々は、キリスト者を指していると思われます。
・しかし私たちは今、この譬えを私たち自身に向けられた言葉として聞きたいと思います。それ故、悪しき農夫=イスラエル=私たちは、自分の存在と生活によって他者を苦しめ、恩寵によって生かされている恵みに感謝せず、あたかも自分の力で生き得ているかのような錯覚に陥っているのです。そのような者は神に喜ばれはしません。にもかかわらず、今なお神の忍耐によって生存が許されているというのは、何故なのでしょうか?
・イエスの死と復活の出来事において神の御業が啓示されています。すべての人間がイエスを殺すということ。その死んだイエスを甦らす神の存在。この人間と神との関係の中に私たちは存在しているのです。私たちの存在を可能としているのは、この事実です。
・自己中心的な私たちの中には死以外の何物もありませんが、死の死を打ち建てた方の存在があるが故に、なお死の中で希望を信じて、歩みつづけられるような人間として、私たちはあるのでしょう。人間の可能性とすれば、絶望以外の何物もありません。絶望は死を意味します。その絶望を耐えつつ、私たちの中にはないイエスの復活のいのちを求めて生きるように、私たちは招かれているのではないでしょか。罪人にして義人という福音の真実を見失わないようにいたいと思います。