なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(116、復刻版)

          黙想と祈りの夕べ(通信116[-11] 2001・12・16発行)

 今日のローズンゲン主日聖書箇所の一つ、サムエル上2:1-10はハンナの祈りといわれ、マリアの賛歌の原型の歌と考えられています。マリアの賛歌については、この紅葉坂教会で伝道師をしていた時に、一人の日雇い労働者との関わりで、その日雇い労働者の方から「先生の宿題にしておくから」と言われたテキストです。

 当時(1974年4月から1977年3月まで)日雇い労働者が、毎日のように教会に来ました。私たちは教会の階下の部屋で生活していて、子どもも小さかったので、ホールの外出入りの扉は鍵をかけていませんでした。そのホールの入口から日雇い労働者の方が入ってくるのです。ほとんどの方は食べ物かお金を少しもらえないかと来ましたが、一人の日雇い労働者の方は、私たちに物やお金を決して要求しませんでした。毎週やってきて聖書の話を1,2時間していきました。月一回あった私の説教の後の週には、説教についての質問のためにやってきました。

 おじさんの解釈は、マリアの賛歌を現代史に当てはめ、特に富める者と貧しい者との逆転が社会主義革命によって実現しているというものでした。聖書の言葉と現代史とを直対応して理解するのはどうか?と、しどろもどろしている私に、「それでは、先生の宿題にしておくから」と言って帰っていったのです。それ以来未だに、おじさんからの宿題には答えられないままになっています。今年は、同時多発テロとアフガン空爆パレスチナイスラエルの危機的状況が重なり、その中で私たちはクリスマスを迎えようといています。そういう状況の中で、またマリアの賛歌に静かに耳を傾けたいと思っています。

 以上のような私の発言に続いて、一人の姉妹がその日の説教で、マグダラのマリアがイエスの遺体を捜しに行ったとき、背後から復活のイエスに声をかけられたところに触れて話された。死体を見つめているマリアのことから、その前日テレビで放映された愛媛丸のドキュメントでの家族の姿が思い起こされた。家族の中には引き上げによる遺体発見まで、陰膳をあげ続けた方もあると言う。引き上げられた遺体に寒かったろうと語りかけ、遺骨となって日本に帰って来た。助かった友人の中には、ずっと眠れないでいたが、船が引き上げられたとき、ホットしたと言う。だが、友人の遺体が出てきてからは、引きこもっている人もいると言う。遺体が見つかってしまい、あきらめざるを得ない苦しみもあるようだ。

 イエスの遺体を探し、死体を見ているマリアの姿に、愛媛丸の家族や生き残った友人のことが重なって、いろいろ考えさせられた。マリアは復活したイエスにうしろから声をかけられ、喜びつつも、その後のマリアの歩みの中で、十字架にかけられて殺されたイエスの姿は忘れられなかったのはないか。復活のイエスから声をかけられた喜びと、イエスの十字架を思うときの苦しみや悲しみの繰り返しの中で生きていったのではないか。愛媛丸の家族や友人のこれからの歩みを祈る思いでテレビを見ていたので、今日の説教のマグダラのマリアについても、いろいろ想像をめぐらすことができた。

 また一人の兄弟は、この日の週報のHさんのコラムに共感したこと。最近の高度の技術によるテロや戦争についての感想、そして、戦争の反対は平和というよりも、忍耐と妥協と祈りによる話し合いではないかということを語ってくれた。

 
      「さばきの日にこられる主」(『ルターの日々のみことば』より)

 すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこ られる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえる。
                                 (第一テサロニケ4:16)

 合図の声と、最後の神のラッパが鳴り響く時、太陽と月とすべての被造物は、「彼らを打ち滅ぼしてください。愛する主よ、彼らを打ち滅ぼしてください」と叫びます。あなたを知らない不信仰な者たちと、キリストのことばに従わない偽りの信仰者たちがいます。彼らはすべてみ名をけがし、地上においては聖徒を迫害し、殺しました。彼らを打ち殺してください。時は満ちています。のろわれた者とよこしまなものの終わりをきたらせてください。それは世のはじめからかつてなかったような、おそろしい前代未聞のあらしが吹き、すべての被造物はさばきが下されるため、恐怖におののき逃げまどうからです。

 きょうの雷は、やがて全世界におよぶ最後の雷の前奏曲にすぎません。そのとき、すべての被造物は、「しかり、アーメン」と叫びます。これこそキリストが栄光のうちに黄泉(よみ)のすべての悪魔と、地上のすべての不信仰者と戦う戦いであり、主はその敵をいなずまと雷により、粉々に全滅されるのです。その時、主のおっしゃったことばは成就します。「そして子は人の子であるから、子にさばきを行う権威をお与えになった」(ヨハネ5:27)。
                                  1545年の説教から