なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(59)

船越通信癸毅后  。横娃隠嫁5月27日         

・5月20日の日曜日の礼拝には、沖縄の教会で牧師をしていますKさんが出席しました。Kさんは、4年前に沖縄の教会に転任するまでは神奈川教区の教会の牧師を長く続けていましたので、私とも神奈川教区でもいろいろなことを一緒にしてきた方です。礼拝後沖縄のことを話していただき、お茶の会でも懇談をすることができました。Kさんは、神奈川にいた時から辺野古の問題にも早くから関わっていましたし、沖縄に自分の身を置いて沖縄の問題を考えたいと強く願って沖縄の教会の牧師になりました。実際に沖縄で生活してはじめて分かることもあるようで、沖縄に行って良かったとおっしゃっていました。現在の教会での牧師の任期は来年3月で終わりますが、その後も沖縄で活動を続けていくことにしています。どうぞKさんのことを今後も覚えてお祈りいただければ幸いです。

・5月20日(日)は午後4時半から教区事務所の2階で、今年度の第一回オリエンテーションがありましたので、オリエンテーション委員会の委員長として私も出席しまいた。教区のオリエンテーションは「神奈川教区オリエンテーション要綱」によって実施されています。要綱には以下のように記されています。「1、目的:日本基督教団はその内に多くの問題をかかえており、神奈川教区は教区として理解のもとに、それらの問題を担おうと努力している。現行の日本基督教団教師検定試験も問題をかかえて実施されており、そのことの故にさまざまな立場の受験拒否を出すことになっている。この検定試験を受験し、准允、按手を受けられる方、また他教区より転任される方にこれらの問題を共に担ってもらうことを目的にこのオリエンテーションを実施する。教区(常置委員会や教区総会)の推薦や承認等をめぐる討論の場に志願者が有意義に参加できるように同委員会はオリエンテーションを準備する。ただし、教区内の多様な意見がこのプログラムに反映するように配慮する。2、対象:a 他教区からの新任教師、b 按手・准允の志願者、c 正・補教師検定試験受験者。3 内容: ゞ誼沈立の歴史とその問題への理解、◆/斉狎邏偽茲両?靴閥偽莊狙基本方針の理解、 教団問題・教師検定問題と受験拒否の理由への理解、ぁゞ偽萓覿気慮従譴般簑蠅悗陵?髻◆ΑΑΑ廖1年間で4回のオリエンテーションを行っています。第1回が5月か6月に「教区形成基本方針」について。第2回が現場研修として9月か10月に、教区の宣教の課題である寿地区センターの働き、在日、基地問題を3年に一度扱っています。今年度は「寿から学ぶ」です。第3回(11月)と第4回(2月)はその年によってテーマを選んで行っています。今年度は第3回が「万博問題と教会の宣教論について」というテーマで岩井健作牧師に発題をお願いしています。第4回は「聖餐について」で高柳富夫牧師に発題をお願いしています。神奈川教区にこのようなオリエンテーションがあることを覚えていただければと思います。

・さてこの週は他の日には特に集会がなく、比較的のんびりと過ごすことができました。現在教団の各教区では教区総会が行われていますが、神奈川教区は一番遅く、6月30日(土)清水が丘教会で行われます。かながわ明日の教団を考える会では今度の教区総会に3つの議案を用意しています。3つとも今秋に開催されます第38回(合同後23回)教団総会に提案者神奈川教区総会として出すようにと願っている議案です。一つは、教区総会決議議案を教団執行部が事前に整理して葬らないで(最近はそうしている)、教規に従って提出権が認められている教区総会決議議案を教団総会の議案にすること。二つ目は、教団の中に聖餐のあり方について議論の場を設定することを求めるもの。三つ目は、私の戒規免職を撤回し、当該処分に付随する不利益処分を是正する、というものです。6月5日の常置委員会で常置委員会提案にできないか諮ってもらうことにしていますが、否決された場合のことを踏まえて議員提案議案として3つの議案の提案者をお願いし、賛同者を集めておかなければなりません。今週はそのための準備に時間を使いました。大体見通しがつきそうです。

・13日の日曜日の礼拝後のお茶の会で、Iさんから、大熊一夫著『精神病院を捨てたイタリア、捨てない日本』という本をお借りしていました。その本を読み終えました。この本を読んで、精神病院の閉鎖から始まるイタリアの精神保健の地域サーヴィス化には、イタリア社会で共産党が強いということもあるのかも知れませんが、どちらかというと政治主導の上からの改革のように思われました。もちろんバザーリアという指導的な人物がいたということもあるのでしょうが。その人物に改革できる行政上のポジションを与えられて、その人物の指導性によって、その地域の精神保健のあり方が抜本的に変えられていったように思えました。もちろん、それには民衆の意識を変える文化運動も重要な役割を担ったに違いありません。精神病院も公立が多いようで、日本のように私立の精神病院が沢山あるというわけではないようです。地域サーヴィス網の準備が出来ない段階でも、精神病院の閉鎖が行われて、入院していた人たちが地域に帰り問題が起こっても、元には戻らず、その問題解決を将来に向けて図っていくという姿勢は、日本社会ではなかなか難しいように思えました。それもイタリアでは精神保健が行政主体で進められているからなのでしょうか。日本社会の場合には、精神保健だけでなく、上からの改革に期待することは難しいのではないかと思います。日本社会では官民一体化が強く、官も政治家の指導性よりも官僚の指導性が強く、癒着の構造がはりめぐらされていますので、現状では下からの地道な改革に期待をかける他ないのかも知れません。だからこそ、浦河えてるの家の取り組みが注目されているのでしょう。この本を読んで考えさせられたのは、イタリアでの改革の指導者バザーリアの考え方とべてるの家の考え方には共通点があるということです。それは、「重い統合失調症の方も専門家の支援のもとで自分の狂気と共存できる」という考え方です。