なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

牧師室から(3)

                牧師室から(3)

 この「牧師室から」は紅葉坂教会時代に教会の機関紙に毎月書いたものです。 

 先日役員会で信徒講壇のことが諮られました。ご存じのように私たちの教会では原則として八月最終と年末の日曜日の年二回、日曜礼拝の説教は信徒講壇にしています。

 私の前任教会の名古屋のG教会では信徒講壇は頻繁にありました。特に私の赴任する前の二年間は無牧でしたので、年間の半分の日曜日は信徒講壇だったようです。私の赴任後は教師二人体制でしたが、月に一回は信徒講壇を行いました。既に召されました一人の年配の方が信徒講壇を担当する時は、ヴァリエイションはありあますが、ほとんど一つ話に近いものでした。会衆にはそれでも伝わってくるものがありました。牧師経験者や大学教授の中には、聖書講解に近い説教をする方もいました。礼拝も豊かになり、諸兄姉におきましては教会の担い手としての自覚が信徒講壇を担当する中で深まっていったように思われます。

 役員会では信徒講壇をこれからも大切にしていきたいと願っています。ただ役員だからと強制的に信徒講壇をお願いするわけにはいきませんので、役員以外の諸兄姉にも信徒講壇を担ってもらうようにしたいと思います。役員会で相談して推薦させていただきたいと思います。この方に是非という場合には、役員の誰かにその旨伝えておいてください。

 み言葉への奉仕は現段階の教会にあっては教職の務めではありますが、教職に閉じられるのではなく信徒にも開かれていることは大切です。 
                                       (2003年7月)

 神奈川教区主催の「平和集会」が今年も当教会を会場にして八月十日[日]午後に行われました。講師は哲学者の高橋哲也氏で、「愛国心」と「日本人としての自覚」の育成を教育目的に据える教育基本法「改正」の動きが何を意図しているかを中心に話されました。「有事法制」が整っても、それだけでは戦争は出来ません。それを担う国民の「心」が求められています。それを現在の政府は公教育を通して子どもたちの心に植え付けようとしているのです。

 高橋哲也氏については、以前藤岡信勝氏らの「自由主義史観」や加藤典洋氏の「敗戦後論」に見られる日本のネオナショナリズムを批判した論文などが収められた『戦後責任論』を読んで、私は、その論旨に共感するところが多く注目していました。この機会に高橋氏の他の著書も数冊読んでみました。私としては『記憶のエチカ~戦争・哲学・アウシュヴィッツ~』が特に心に残りました。歴史の中で抹消された「記憶や証言」の復権といいましょうか。アウシュヴィッツや「従軍慰安婦」の記憶や証言から、歴史をとらえ直すことの大切さを教えられました。たとえば私たちが、日本の政府が主導して民衆を「国家」という大きな物語に回収しようとしている現在にあって、その回収を許さず、抹殺された者、忘れ去られた者の側に立って歴史をとらえ直し、国家意志を相対化していくことです。そのことは、イエスの十字架の出来事から人間総体の営みとしての歴史をとらえ直すことに通じるように思います。
                                       (2003年8月)

 9・11同時多発テロから2年が経しました。先日テレビを観ていましたら、テロリストにハイジャックされた4機の飛行機の1機に同乗していて、最愛の娘を失った音楽家の父親のこの2年間のことが放映されていました。彼は事件の直後はアメリカのアフニスタンのタリバン攻撃に賛成していたと言います。ハイテク兵器によるピンポイント攻撃によって、アフガニスタンの民衆を犠牲にしないで、テロリストを攻撃できると思ったからだそうです。けれども、その後自分がアフニスタンに行ってみて、アメリカの爆撃で自分と同じように家族を失ったアフガニスタンの人々と話し、全く自分と同じ悲しみを抱えていることを知って、イラク戦争には最初から反対したというのです。

 私の同僚の牧師の一人は白血病で自分の子どもを失いました。それから彼は、チルノブイリの原発事故による白血病に苦しむ子どもたちの支援をはじめ、反原発の運動を地道に取り組んでいます。自分の経験した痛みや悲しみが、同じ痛みや悲しみで苦しむ人と結びつけ、人に痛みや悲しみを引きこす原因を取り除く働きに押し出して行くのでしょう。そういう内的に深い動機から運動を担う人は、状況が良かろうが悪かろうが、その運動を続けて行くのではないかと思います。

 イエスの中にも、彼が出会った人々の痛みや悲しみへの共感から、あのようなイエスの生涯へと押し出されたものがあったのではないでしょうか。
                                       (2003年9月)
 
 先日教区の拡大社会委員会の集まりで、一人の参加者の一つの発言が私の心を捕らえました。その発言とは、「教会では生活過程を共有しているわけではない」というものです。言われて見れば、全くその通りです。事実私たちは、日曜礼拝を共にするだけで、家族とか家族のようなお付き合いをしている一部の人以外は、全くと言ってよいほど他者との日常的な交わりはありません。従って、日常的にどんな生活をしているのか、教会員についてもお互同士殆ど知らないわけです。これが大都市にある教会の典型的な姿なのでしょう。

 先日年長者の聖餐礼拝をはじめて行ない、数名から車での送迎の希望がありました。伝道師とFさんに車の運転をお願いしました。たまたま教会から比較的近い方からの希望でしたから出来ましたが、二時間も三時間もかかる方ですと、実際には難しいと思います。ですから最初から遠慮される方もいらっしゃるのではないでしょうか。年長者だけでなくいろいろな弱さを抱えている者にとっては、他者の支援を必要とします。現状では多くの場合、どうしても生活過程を共有しているか肉親という絆による家族にその支援の期待がかけられます。しかし、現在家族もその働きを担えるほど安定しているとは言えません。

 私たちの教会がこのままで行くとすれば、信徒各人が自分と生活過程を共有する仲間を日常的に作ることが求められているように思われます。
                                       (2003年10月)