黙想と祈りの夕べ通信(309)復刻版を掲載します。2005年8月のものです。
特定秘密保護法が参議院で可決されるかどうかということで、緊張して見守り、また日比谷野外音楽堂
で開かれた12・6大集会には私も出席し、その後国会前までデモをしました。ちょうど私たちの隊列が
デモを終えたのが午後10時過ぎでした。午後10時半ごろまで、参議院議員会館前の道路に、いつも辺野古
新基地建設反対の座り込みを行っている場所でもありますが、秘密法廃案を叫ぶ反対行動の人々が沢山い
ました。警官にガードされ、遠回りしないと抗議の人々のところにいけませんでしたので、国会図書館側
の地下鉄永田町への地上口近辺でその声を聞きながら、しばらく他の人と一緒に佇んでいました。10時半
近くになりましたので、船越教会に帰るために、国会前を後にしました。多分ちょうどその頃に、参議院
では強行採決が行われたのだと思います。聞くところによると、抗議する人たちの国会突入の危険を感じ
たのか、国会議事堂の参議院入り口は、警官によってバリケードが築かれたということです。
12月6日の抗議行動は、私を含めて日比谷野音に集まった人たちは、何らかの組織と関る人たちで、国
会前に直接抗議に来た人たちの多くは、組織と関係なく、個人の意思で来ているのではないかと思われま
す。参議院会館前の道路で抗議行動をしている人たちは、その隅のほうには70年代のセクトの旗もありま
したが、ほとんどのところには組織を表す旗はありませんでした。問題意識を持つ個人が、一市民として
抗議行動に参加しているという感じです。これは、3・11以後の反原発抗議行動も同じです。日比谷野音
の集会には、組合の旗や市民運動の旗が乱立していました。
特定秘密保護法の恐ろしさを多くの人に伝え、この法律を施行させないような運動を、今後形成してい
かなければなりません。その時、一人一人の自立的、批判的な市民の役割が大きいのではないでしょう
か。そのような自律的、批判的な市民は民主的な社会でないと育ちません。その意味では、現在の教団中
枢は上意下達による統制に走っていますので、そのようなところからはイエスマンは生まれても、批判的
な人間は育ちません。特定秘密保護法も統制の強化です。この法律が施行されると、情報を知ることも、
自由に批判することも難しくなり、結局は政府の言いなりになる人間がつくられていくことになります。
その意味で、現在の教団中枢と現在の安倍政権は通底しています。何とか打倒しなければなりません。
黙想と祈りの夕べ通信(309-48]2005・8.28発行)復刻版
日曜学校の夏期キャンプが20日(土)から22日(月)にかけて山梨県の道志村の民宿で行われました。私は
21日の日曜日の礼拝がありましたので、礼拝を終えて後から道志村に向かいました。13時ちょうどの桜木
町発横浜線に乗って、八王子で特急かいじに乗り換え、大月でまた富士急電車に乗り換えて、都留市で下
車しました。都留市には14時59分に着きました。駅まで自動車で迎えに来てもらい、道志村の民宿に着い
たときには、ちょうどおやつの時間でした。その日のお昼はそうーめんだけでしたので、お腹も大分空い
ていました。みんな大広間に並んだ2列のテーフルに対面で座りました。私も座りました。するとAさん
(小学生)が廊下にあったポットから湯飲み茶碗に冷たい麦茶をいれて、「北村さん、お茶!」と言って
持ってきてくれました。感動。そしておやつに出されたふかしたジャガイモ3個ときゅうり少々を民宿自
家製の味噌をつけて食べました。おいしかったです。それにスイカを一切れいただきました。大満足。そ
の後作業の時間で、道端で取ってきた草花を押し花のようにラミネートにするグループ、川原で拾ってき
た石に絵を描くグループ、拾ってきた木や枝で工作するグループに分かれて作業をしました。私は木と枝
の工作のグループの手伝いをしました。子どもたちの希望を聞いて、枝を切れない鋸で切ったり、針金を
希望の長さに切ったりしました。その中で30センチ位の丸太と枝で本棚を作るというなか伝から来た2人
の女の子がいて、2人の希望を聞きながらその作業のほとんどを私がしてしまいました。翌日の作業の時
間に完成しましたが、本棚というよりもベンチでした。作業が終わって夕食です。テーブルには部屋毎で
座ることになりましたので、私はWさんと向かい合ってテーブルにつきました。2年前の群馬の片品村で
の夏期キャンプの時のWさんとは見違えるように、自分で何でもしていました。幼い子どもの成長には、
本当に目を見張るものがあります。日曜学校の夏期キャンプの楽しみの一つは、参加する子どもたちの成
長を見れる喜びです。夜は道志村にある温泉に4台の自動車で行きました。4台の自動車の内3台は宿の自
動車で2往復してもらいました。宿に帰って、しばらく自由時間の後、各部屋でお祈りして子どもたちは
休みました。その後スタッフの打ち合わせがあり、私が布団に入ったのは12時過ぎていましたが、同室の
Wさんはぐっすり寝ていました。
翌朝6時前に目を覚まし、洗面所で顔を洗っていましたら、私の携帯が鳴り、Nさんが召された連絡を
受けました。その日は午前11時からの閉会礼拝が私の担当でしたので、その責任を果たしてから、教会に
帰ることにしました。早天礼拝は猪が出るという民宿の畑で行い、その後畑のトウモロコシを2本ずつも
いでおみやげにしました。朝食、後片付け、作業を終えて、閉会礼拝です。閉会礼拝では、福音書の5000
人の共食の物語が今年の夏期キャンプの聖書箇所でしたので、シントラーの『聖書物語』から、この物語
の登場人物を割り振ってその部分を朗読してもらい、ナレターに当たるところは私が読みました。その後
5つのパンと2匹の魚をみんなで分かち合う「パン裂き」を行いました。みんなを四つのグループ分けま
した。このグループ分けの比率は食をめぐる世界の現状にある程度合わせています。/が余っていて太
り気味の人たち(1/5)太りもせず痩せてもいない人たち(3/5)A蕕撒ぬで食が足りない人た
ち(1/5の8割)、い劼發犬て命の危険にある人たち(1/5の2割)。五つのパンを公平にではな
く、必要に応じてい一番多く、↓,僚腓望なくというように分けました。二匹の魚は、本物の魚で
はなく、金網を芯に和紙を張った魚の形を作り、その上に大きさと色違いの3種類のマグネットを並べま
した。マグネットには魚のシールを張りました。そしてパンと同じようにいら順に大きいマグネットか
ら小さなマグネットへというように配りました。公平に分かち合うということは、同じ分量をみんなに分
けることとは違うのではないか。必要に応じて多い人と少ない人があっていいのではないかということを
表そうとしたのです。 閉会礼拝を終えて、私は頼んでおいたタクシーで都留市駅に向かいました。