今日は黙想と祈りの夕べ通信(313)復刻版を掲載します。2005年9月のものです。
今日は、明日私の裁判支援会で通信第9号及び別冊を支援者と教団の全教会・伝道所に発送する
作業がありますので、そのための準備に時間を取っていて、ブログを掲載するのが今になってしま
いました。
黙想と祈りの夕べ通信(312)は、当時教会員の方の帰天で私が欠席し、伝道師がまとめてい
ますので割愛しました。311号から313号に飛んでいます。
黙想と祈りの夕べ通信(313[52]2005・9.25発行)復刻版
9月11日の選挙で自民党が圧勝しました。それは、専ら小泉純一郎の郵政民営化賛成か反対かと
いう、分かり易い二分法による政治手法とその人気によるところが大であると言われています。確
かに小泉が自民党の総裁になってから、それまでの官僚と派閥によって成り立っていた政界の空気
が、少しずつ変わってきているように思われます。アメリカの大統領制までは行かないまでも、そ
れに近いものが日本の中にも生まれつつあるのかも知れません。今回の選挙では、特にそのような
感じを受けました。今までの日本の政治は、多かれ少なかれ官僚の主導によっていたと思われま
す。それに加えて派閥政治によって既得権が守られてきました。ですから、多分構造改革は、官僚
と派閥による今までの政治構造ではうまく進まないでしょう。小泉が改革のためには自民党をつぶ
すというのは正論だと思います。官僚や派閥は冒険は出来ませんが、既得権の安定という点では、
結構うまくやってきています。その構造が今回の選挙で特に大きく変わりつつあることが証明され
ました。政策や政治家のパフォーマンスによって選挙の結果が大きく変わりました。これは変化が
期待できるという点では希望が持てますが、憲法改悪や教育基本法の改悪という危険性も増したと
いうことでしょう。選挙する国民の側が余程成熟していないと、危険な方向へどんどんころがって
いくことになりかねません。そういう中で私たちキリスト者は、たとえ少数であっても、政治が最
も弱くされた人の命と生活を守るためにあることを訴え続けていきたいと思います。
上記の私の発言に続いて、一人の方から以下のような発言がありました。自分は就職の時から40
年間変わらすに、9条を含む現憲法擁護と貧富の格差の是正を自分の理念としてきたので、現在の
社民党を支持している。今回の選挙で衆議院で与党が三分の二以上を占めるようになったし、憲法
を変えるという点では95%の議員がその立場であろう。これからの4年間では憲法改定は取り上
げられるとは思えないが、次ではないか。話は違うが、母が入院して兄弟で看護に通っている。脳
外科の病院なので、同じ入院している方の付き添いの人と話す機会がある。その中の一人の方は3
0歳くらいの若い娘さんの付き添いできているお母さんである。入院している娘さんは、けなげに
治そうと一生懸命である。決して病気に絶望しているとは思えない。が、お母さんは「神も仏もな
い」とおっしゃる。余り繰り返すので、そのお母さんに、人から助けられたこともあるのではない
ですか、と話した。すると、そのお母さんは、自分中心の考えかもしれません、と言われた。二人
のことを祈っていきたい。私自身も介護をしていていろいろ教えられている。
続いて別の方の発言がありました。今日の聖書のイエスの最も大切な掟の記事にある、「思いを
尽くし、力を尽くして神を愛する」について、これが最も重要な掟と思いながら、抽象的に思え
る。神を愛するということはどういうことなのか、気になっている。最近ある一人の心の病を持つ
方が亡くなった話を聞いた。その方は生前周りの方を巻き込んで、暴力を振るったり、浪費して、
大変だった。教会の牧師も関わっていた。本人自身も周りの人を巻き込んで自分のしていることに
気づいていたが、変われない自分に絶望し、自死した。そのことに対して、彼女と関わった人の中
には、彼女を、神はよい時期を選ばれて、みもとに呼んでくださったと、言われた人がある。そう
言うことによって、やりきれない気持ちを軽くしたいという思いがあることは分かるが、それは自
分が楽になるためではないか、それでいいのかと悩んでいる。神を愛するということは、事柄をき
れいに片付けることではなく、目の前にいる人と苦しみながらすったもんだしながらも生きていく
ことではないかと感じている。