なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(205)

 今日はイースターです。主の復活の命が皆様の上に豊かにありますように。   
        

           船越通信癸横娃機 。横娃隠鞠4月5日    

・29日(日)の日曜日には、私の姉の従妹の子が田浦に住んでいて、彼女が船越教会の礼拝に出席しまし

た。前にも一度船越教会の礼拝に出席したことがありますが、この日は礼拝後のお茶の会にも参加し、懇談

の席にも加わって交わりの時を持って行きました。その後、連れ合いは教区関係の委員会の印刷発送作業を

、Tさんと一緒にしましたので、私も少し手伝いました。その後この日の夜に紅葉坂教会で予定されていた、

第64回かながわ明日の教団を考える会の準備をして、連れ合いと船越教会を午後4時半ごろに出ました。

・激しくはありませんでしたが、夕方から雨がちらつき、かながわ明日の教団を考える会の出席者がやや少

なめでしたが、それでも20名ほど集まりました。この会の常連だったO牧師も、この4月から沖縄宮古伝道所

の牧師になって神奈川から離れました。このかながわ明日の教団を考える会は、2002年12月に第1回を開きま

したが、その時の呼びかけ人であった5人(Uさん、O・T牧師、O・K牧師、Hさん、私)の内、この4月からは

私だけになってしまいました。Uさん、Hさんは神奈川教区にいますが、今はこの会にはほとんど出席してい

ません。その他この会を積極的に担ってくれた、K・R牧師、W・Y牧師、M・K牧師も他教区に転出していきま

した。

・さてこの日のかながわ明日の教団を考える会では、 2月教区総会の報告、◆3月常置委員会報告、

 6月教区総会に向けて、ぁゞ誼津粗算餠癲∪覿鬼霑値?世砲弔い董↓ァ‥貽鐱楝膺椋卮鏈匱垰抉腓砲弔い董

Α)迷写反処分撤回支援について、А―報告・その他、について報告と話し合いを持ちました。2月教

区総会では三役、常置委員の選挙がありましたが、神奈川教区の体制に変化はありません。一応今の教団中

央とはある程度の距離をとって教区運営ができるのではないかと思っています。ただ私などよりも15歳か

ら25歳若い層の教職が今の教区政治を担っていますが、少し心配なのは、全体に違いを明確にしながらの

対話ではなく、最初から対立を回避する傾向があることです。これは70年来の教団内における宣教論、教

会論、信徒・教職論の違いからくる対立構造がステレオタイプ化していることに起因しているのではないか

と思われるのですが、対立を棚上げにした融和への思いが優っているように思えるのです。特に私などの考

え方に近い若い人たちにそれが見えることです。その危険は護教論という落とし穴です。方向性を曖昧にし

てみんなをまとめて行こうとする発想には、結果的に教団擁護に陥る危険性があります。そういう人たちが、

このかながわ明日の教団を考える会からも少し距離を置いているのではないかと思いますが、ここまで続け

てきていますので、この会も可能な限り責任をもってこれからも続けていきたいと思っています。

・3月30日(月)にS先生からお電話をいただきました。昨夜のかながわ明日の教団を考える会に出るつ

もりだったが、29日は神奈川教区の東日本大地震被災支援の一環として福島の教会に説教派遣として行き、

帰るのが遅くなって欠席して申し訳なかったと、わざわざお電話をくださったのです。そして6月教区総会

には教団問安師が来るので、前もって何を質問するか検討しておいた方がよいのではというご意見をいただ

きました。次回は5月31日に第65回かながわ明日の教団を考える会を行う予定ですので、その時に検討

するようにしたいと申し上げました。先生の誠実さには頭が下がります。

・4月1日には農村伝道神学校の入学式に参加しました。今年度は新入生が2人で、その一人は長野にある

教団以外の教会出身者ということでした。この長野の教会からは昨年も2人の新入生がありましたので、現

在農村伝道神学校の在校生が4学年全体で10数名ですから、この長野の教会出身者の比率が相当高くなっ

ています。2015年度、私は前期説教学を担当することになっています。説教演習は今年度対象者がなく、

休講ということですから、4月から9月前半まで週一回火曜日に今年も農村伝道神学校に行くことになりま

した。この農伝の入学式でK・K牧師にお会いしました。K先生は、私の免職のことを心配してくださっている

だけでなく、船越教会のことも心にかけてくださっています。ただ現在90歳になられて、歩くのが少し不

自由になっているようで、杖をついていました。農伝は構内の建物の移動でも、平坦な道ではありませんの

で、気を付けて歩いておられました。行帰りはどなたかの自動車に乗せていただくということでした。先生

の健康が支えられますように。

・4月2日(木)午後には、鶴巻から小田急で小田原寄りの渋沢駅から少し丹沢山塊側に入ったところにあ

る神に庭サンフォーレ秦野というホームに16年生活して、先日93歳で帰天されたT・Nさんという、私が

神学校を出て最初に赴任した足立梅田教会の信徒の方のお別れ会があり、私も連れ合いと一緒に参加しました。

4年前に鶴巻に来てから、神の庭サンフォーレ秦野には礼拝があり、支援会によって運営されていますが、そ

の礼拝のコーディネーターをしています秦野西教会のS牧師から、T・Nさんが私に会いたがっているのでと言

われて、S牧師が自動車で私をホームに連れて行ってくれたことがありました。その後秦野西教会の礼拝で一

回、また、大分前にT/Nさんが大分弱っているというので、私がホームに見舞いに行きましたので、この数年

で3回ほど直接お会いしていました。ホームには妹さんも16年前からTさんと一緒に入所されていて、その

妹さんと姪御さんがお別れ会をホームの全面的な協力を得て開かれたようです。足立梅田教会を辞して40

年になりますが、私がいた頃の方も10数名お別れ会に来られていましたので、その方々と昔を懐かしむこ

ともできました。この日はお別れ会の後、一度鶴巻に帰って着替えてから翠ヶ丘教会で行われるチャリティ

ーコンサート(デュオコンサート~クラリネット&ピアノの饗演~)に連れ合いと一緒に行きました。会場

募金の内、演奏会の必要経費を差し引いた全額が、教区の福島の家族保養プログラム「リフレッシュ@かな

がわ」に寄付されるということもあり参加したのですが、二人の演奏が翠ヶ丘教会の会堂ともマッチした良

い演奏会でした。