なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(225)

        船越通信癸横横機 。横娃隠鞠8月23日    


・8月8日(土)開催の神奈川教区平和集会で参加者一同による「平和集会 宣言」が採択されました。

その全文を下記に記しておきます。

・<戦後70年を迎える今、日本基督教団神奈川教区のキリスト者と、ここに集い願うすべての人と共に、

平和への決意を表明します。

 聖書:「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。私はこれを、世が与えるよう

に与えるのではない」(ヨハネ14:27)

序文:

 先の戦争は悲惨なものでしたが、特に1945年までの日本の朝鮮半島に対する植民地支配、中国や他の国

々に対する侵略行為は、アジアの人々に大きな苦しみと犠牲をもたらしました。日本が行った虐殺行為、

従軍慰安婦」といった、非人道的な重い過ちの歴史を忘却することは決してゆるされるものではありま

せん。/戦後70年を経て、過去の戦争の記憶が遠のくにつれ、戦争への責任と事実を書き換え、否定しよ

うとする動きがあります。沖縄線の惨劇の地に、アメリカ軍基地を置き続ける残酷さを思います。特に辺

野古基地建設の沖縄県民の思いは、わたしたちの思いであり、基地建設を阻止します。/特定の民族への

激しい攻撃や差別煽動発言における他者排斥と、自己肯定は結局、憲法9条を変え、海外で武力行使できる

ようにする今の政治の流れと連動し、それは先の戦争における同じ過ちを犯すことです。/日本基督教団

は1967年「第二次世界大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を出し、先の戦争において、

教会は「見張り」の使命をないがしろにしたばかりか、戦争に同調し、是認し、支持し、その勝利のため

に祈ったものであることを深く懺悔し、主に対して、そしてアジアの諸国からのゆるしを願い請いました。

そして、教会が再びこの過ちを繰り返すことなく、日本と世界に負っている使命を正しく果たすことがで

きるように、主の助けと導きを祈り求めました。/戦後70年を迎える今、再び我々はこのことを深く心に

刻み、以下の宣言をします。

主文: 

 我々は、主の十字架と復活の恵みによって残して下さった「平和」にこそ、その礎を置く。/我々は、

いかなるものであっても、条件付きの平和を「平和」とは呼ばない。/我々は、この「平和」にあって、

隣人に、我々の犯した過ちを告白し、その赦しを心から願い続ける。/我々は、この「平和」にあって、

隣人を尊重し、共に歩んでいくことを心より願う。/我々は、この「平和」にあって、主が我々を愛し

て下さったように、すべての隣人を愛することを心より願う。また、社会的に差別、偏見、暴力にさら

される人たちに解放を願い、そのために働く。/我々は、この「平和」にあって、あらゆる武力行為を

正当化せず、これに抗する。/我々は、そのためにあらゆる人々の上に、主の「平和」を祈る。/我々

は、真の希望の光として、「敵のために祈る主の平和の福音」を、未来を担う子どもたちに確かに伝え

るために、さらに勇敢に、さらに忠実に、さらに喜び、さらに祈りつつ歩んでいくことを心から願う。

祈り:

 人を愛する故に、十字架で死なれた主イエス・キリストのいのちが、すべての人を、共に生きること

の尊さと喜びと平和に導き、歩ませてくださいますように。>(注記は省略)。

・11日(火)から17日(月)での私の夏期休暇の前半は、遠出することなく、鶴巻で過ごしました。

その間寿夏まつりに14日(金)と16日(日)の2回出かけました。16日の日曜日は、秦野西教会の礼拝

に出席しました。

・19日(水)午前中に船越教会に来て、20日(木)~21日(金)に毎年夏に行われますフェミニスト

神学の会(船越教会で行う)の準備をし、その会には私も出席しました。この会にはおそらく1995年に名

古屋から横浜に来てから、1回ぐらいしか休んでいないと思いますので、今年は第33回になりますが、20回

は出ているのではないでしょうか。私にとっては、障がい者と教会の集いと共に、夏の恒例の集いになっ

ています。今年は「イエスの母マリア」を扱いました。発題者の一人カトリック相模原教会の信徒の方か

ら、「カトリック教会のおけるマリアに関する教え」について聞くことができました。カトリックのマリ

ア崇拝については多少知ってはいました。紅葉坂教会時代にミズラに関わっていた方から、フィリピンの

女性のマリア信仰について聞いていましたので、神の母性性をマリアを神聖化することによってうまく取

り入れているカトリック教会のしたたかさのようなものを感じていましたが、今回のお話を聞いて、カト

リックのマリア信仰が予想以上に大きなものであることを知ることができました。例えばカトリック教会

の中にあるマリア像の前を信徒が通る時には、殆どの人が立ち止て拝礼するそうです。カトリック教会で

はマリアは「神の母」で、これがマリアの公の称号だそうです(431年エフェソ公会議)。マリアの処女性

をはじめ、マリアの無原罪、マリアの被昇天などの教義があり、マリアに関する教会の祝祭日が1年間に4

日あるそうです。1月1日「神の母、聖マリア」(祭)、8月15日「聖母の被昇天」(祭)、9月8日「聖マリ

アの誕生日」(祝)、12月8日「無原罪の聖マリア」(祭)。

 日本人にとっての8月15日(戦記念日)、2月8日(珠湾攻撃)も、マリアの祝祭日になっているそうで

す。この4つの祝祭日の他にマリア関連の記念日が6記念日あるそうです。一人の人間としての、女とし

ての、母としての歴史的人物としてのマリアからしても、カトリックのマリア信仰は戸惑うのではない

でしょうか。宗教性のもつ魔力をカトリックのマリア信仰に感じますが、私たち日本人にとりましては

同じものを天皇信仰に感じるのではないでしょうか。

・21日(金)夜寿地区センター30年誌の編集者の慰労会が寿の焼き肉店であり、私の参加しました。

22日(土)は14:30から船越教会でヨコスカ平和船団主催の「イージス艦現場学習会「ミサイル防衛

の座学があり、平和船団のおむすび丸で現場研修(基地監視行動)をしてきた十数名の方が、市川さん

や新倉さんの話を聞いて、感想を述べ合いました。そこには私も出させてもらいました。