なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(351)

       船越通信、癸械毅院   。横娃隠固2月18日   北村慈郎


・11の日曜日は、礼拝後Hさんが作って下さったカレーうどんの昼食会がありました。10名が参加し美味

しくいただきました。その後何時ものようにしばらく懇談の時を持ち、散会しました。昼食会後役員会が

ありました。年度末の役員会ということもあり、2018年度の教会総会は4月15日(日)礼拝後に決め、総会

資料の準備の割り振りをしました。また、4月1日がイースターになりますので、教会だより「船越の丘か

ら」をイースターに発行することにし、何人かの人に原稿を依頼しました。まだしばらく前にクリスマス

の時をもったのに、もうイースター?という感じです。この日は役員会後、次週の準備をして残っていた

連れ合いと一緒に鶴巻に帰りました。


・12日(月・祝)は10:00から紅葉坂教会で第13回思想・信教の自由を守る日・横浜集会に参加するため

に鶴巻のマンションを8時半過ぎには出ました。船越教会が属する東湘南地区では2・11集会はありませんの

で、毎年他地区で行われる2・11集会に参加してきましたが、今年は横浜地区の講師が内海愛子さんという

ことで、私は横浜地区の集会に参加しました。もう大分前になりますが、何かの集会で内海愛子さんのお

話を聞いたことがあります。その時もアジアについての話ではなかったかと思います。内容は全く忘れて

しまいましたが、インパクトのある話であったという記憶がありましたので、横浜地区の集会を選びまし

た。朝が早かったことと、日曜日の直後の月曜日ということもあって、ボーとしていて、内海さんの話を

集中して聞けませんでした。この集会のチラシの講師紹介の一節にこのような言葉があります。「1975-78年

インドネシア・パジャジャラン大学講師。帰国後、80年代は東南アジアのエビ養殖場の現場を歩く。そこ

は日本軍の占領地域でもあり、戦後は戦争犯罪を裁く軍事法廷が開かれていた。日本の戦争と戦後をアジ

アの視点をふまえて考えてきた」。この日のお話しも内容的にはここに記されていることの一端でした。

内海さんの講演の題は「サンフランシスコ講和体制を考える~植民地支配・戦争犯罪・戦後補償を中心に

~」です。ボーとして聞いていた私の中で印象に残ったのは、太平洋戦争が起こる前の朝鮮と台湾の日本

の植民地支配は、戦争裁判(極東国際軍事裁判、通称東京裁判)では日本の戦争犯罪としては裁かれなか

ったということが、一つです。東京裁判の被告28人の中には、2人の元朝鮮総督と1人の元朝鮮軍司令官が

含まれていましたが、「3人に共通する訴因は、侵略戦争の共同謀議・侵略戦争の計画準備・侵略戦争

行、通例の戦争犯罪および人道に対する罪」(レジュメから)であって、植民地支配への加担ではなかっ

たということなのでしょう。レジュメには、「だが、植民地支配が審議の対象になることはなかった。

法廷には、朝鮮植民地支配の最高責任者たちが顔をそろえていたが、朝鮮支配は審議の対象になってい

ない。『パリ不戦条約』(戦争抛棄に關する条約、ケロッグ=ブリアン条約 1928年8月27日パリで署名

・1929年6月27日批准・1929年7月25日公布)締結以前の『侵略』は審理の対象になっていない。それ以降

の日本の『東南アジアにあった英米蘭仏の植民地や中国における日本軍の侵略・残虐行為』が裁かれた。

/※横浜やシンガポールなどでおこなわれたBC級戦犯裁判(通例の戦争犯罪を裁いた)でも、連合国捕

虜を強制労働させた責任者や企業は裁かれたが、朝鮮人の強制連行は裁かれなかった。中国人は捕虜で

あることを主張。横浜法廷では2件の裁判が行われた」というのです。それからもう一つ、日本軍は白人

捕虜の監視を朝鮮人や台湾人にさせたということ。そのために戦争裁判でそのような朝鮮人や台湾人が

日本人として裁かれたということです。このことには植民地支配の二重・三重の犯罪性があるように思

われます。内海愛子さんは「戦争裁判は、何を裁き、何を裁かなかったのか。残された私たちの課題は

何か、考え続けていきたい」と、最後におっしゃいました。戦争責任についても、植民地支配の責任に

ついても考え続けることによって、再び同じ過ちを繰り返えさないようにしなければなりません。内海

さんのお話を聞いて、そのことを強く思わされました。


・13日(火)、14日(水)は、戦責告白50年を覚える記念集会の報告集の原稿を最終的にまとめま

した。後は印刷と製本をして完成です。


・15日(木)は午後4時半から高座渋谷教会で基地・自衛隊問題小委員会があり、鶴巻から出かけまし

た。この日は委員会後に「2017年神奈川の基地はどう動いたか?」という厚木基地と相模原補給廠の監

視行動を続けておられるお二人の方から、スライドで説明したいただく公開学習会がありました。ちょ

うどこの数日厚木に飛来したオスプレイの抗議行動もあり、神奈川の基地の現状の理解する上で、貴重

な学習会でした。厚木基地の話の中で、厚木基地の滑走路の延長上に国有地を借りて大和市がつくった

公園があって、その公園で遊んでいる子供たちのすぐ上を訓練のために艦載機が爆音を立てて飛んでい

くのを見ると、沖縄の普天間の小学校や幼稚園に落ちた落下物のことが重なって、心配になると言われ

ました。厚木飛行場も民家が隣接していますので、そのような心配があるとともに、爆音被害のすごさ

も、経験した者でないとわからない、なかなか分からないと思います。私は一度その大和の公園で艦載

機の爆音を経験したことがあります。公開学習会の参加者が、それぞれ事情があって委員の欠席もあり、

少なかったのは残念でした。この日私は集会後船越教会に行きました。戦責告白50年を覚える記念集会

の報告集を19日月曜日に船越教会で集会実行委員を中心に集まって完成させることになっていますので、

その前にできるだけ印刷だけは終えておきたいと思ったからです。16日の金曜日に18:30から寿地区活動

委員会が寿地区センターでありましたが、それまでにほぼ印刷を終えることができました。


・16日(金)は夜寿地区活動委員会があり、船越から行きました。この日の委員会で年末年始の越冬

活動報告があり、近年越冬のためのテント設営など、準備と後片付けの作業が、全体にその作業のでき

る人の年齢が高くなっていて、皆さん余計大変になっていること。また、年末のボランティアは多いの

ですが、新年になってから、特に夜回りパトロールの参加者が少ないとのことでした。私も越冬には2日

か3日毎年参加するようにしていますが、夜回りまでは参加していないので、来年は考えなければと思い

ました。