なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

エレミヤ書による説教(85)

  「畑を買う」エレミヤ書32:1-15、2018年2月18日(日)船越教会礼拝説教


・今日のエレミヤ書の箇所には、エレミヤは、ユダの王ゼデキヤに語った預言によって、「ユダの王の宮

殿にある獄舎に拘留されていた」(32:2)と言われています。


・拘留と言われますと、沖縄高江のヘリパット建設工事の反対行動で逮捕、長期拘留されて、現在一審裁

判の判決が3月14日にでることになっています山城博治さんのことが思い起こされます。山城博治さんの

は拘留中支援者は接見禁止で、弁護士以外は誰も会うこともできませんでした。そういう山城さんの拘留

ということからすると、エレミヤの拘留は大変緩やかなものであったようです。「獄舎」と訳されている

言葉は、37章の21節に出てくる「監視の庭」と同じ言葉ですから、外部の人と全く遮断された場所という

わけではなかったようです。エレミヤがゼデキヤ王に語った預言は、先ほど読んでいただいたところに、

<エレミヤの預言はこうである。>と、このように記されています。


・<「主はこう言われる。見よ、わたしはこの都をバビロンの王の手に渡す。彼はこの町を占領する。ユ

ダの王ゼデキヤはカルデヤ人の手から逃れることはできない。彼は必ずバビロンの王の手に渡され、王の

前に引き出されて直接尋問される。ゼデキヤはばバビロンへ連行され、わたしが彼を顧みるときまで、そ

こに留め置かれるであろう、と主は言われる。お前たちはカルデヤ人と戦っても、決して勝つことはでき

ない。」>(32:3b-5)と。


・この預言をエレミヤがゼデキヤ王に語った時、<バビロンの王の軍隊がエルサレムを包囲していた>

(32:2)と言われていますので、ゼデキヤ王はエレミヤのこの過激な預言が民衆に及ぼす悪影響を恐れ

て、エレミヤを拘留せざるを得なかったのかも知れません。


・このエレミヤの拘留の出来事と共に、今日の箇所の後半には、エレミヤが従兄弟のハナムエルからアナ

トトの畑を買って、その購入証書とその写しを、エレミヤの弟子でエレミヤの預言の筆記者でもあったバ

ルクに、素焼きの器に納めて長く保存せよと命じる記事があります。バルクにその様にさせたのは、<

「・・・イスラエルの神、万軍の主が、『この国で家、畑、ぶどう園を再び買い取る時が来る』と言われ

るからだ>(32:15)というのです。


・このエレミヤの畑購入の記事は、文脈からしますと、エレミヤの拘留中の出来事だったと思われます。

拘留中にエレミヤは神の預言によって従兄弟のハナムエルの畑を親族として買い取って、バルクにその購

入証書とその写しを素焼きの器に納めて長く保存させたというのです。そしてこの畑購入は、神の救いを

預言する預言者の象徴行為だったのです。このエレミヤの象徴行為によって、バビロン軍による包囲とい

う最も暗く絶望的な状況のただ中で、『この国で家、畑、ぶどう園を再び買い取る時が来る』という回復

のメッセージが与えられているのです。


・バビロンの軍隊がエルサレムを包囲していたという状況の中で、エレミヤは、ユダの王ゼデキヤに向

かっては、バビロン王ネブカドレツアルに投降するように語って拘留されながら、同時に従兄弟のハナム

エルの申し出を受けてアナトトの畑を購入して、<イスラエルの神、万軍の主が、『この国で家、畑、ぶ

どう園を再び買い取る時が来る』と言われる>という回復のメッセージを語っているのであります。


・これらのエレミヤの行動を通して思わされるのは、バビロン王の軍隊がエルサレムを包囲している危機

的な状況の中で、エレミヤは極めて冷静に、ゼデキヤ王をはじめ同胞であるユダの国の民がどうすべきか

を見いだしていたということです。エレミヤは、自分の置かれた現実の中で、預言者として真剣に神と対

話し、神と対決していました。彼は、バビロン王の軍隊がエルサレムを包囲しているという危機的な状況

にあっても、あわてふためいて、自分を見失って、その状況に呑み込まれることはありませんでした。エ

レミヤは、神との対話し、神との対決し、その格闘によって、ゼデキヤ王に向かって語る言葉を与えられ

ていましたし、同胞イスラエルの民のバビロン捕囚後の将来に対する神による回復の預言も与えられてい

たのです。


・一方、バイロン王の軍隊のエルサレム包囲という状況の中で、ゼデキヤ王は、エレミヤのようには冷静

に振舞うことは出来ませんでした。その状況の中でゼデキヤ王がすべきことは、バビロンに投降し、バビ

ロンに連行され、神がゼデキヤを顧みる時まで、バビロンに留まっていることだ。<お前たちはカルデヤ

人と戦っても、決して勝つことはできない>と、「神はそう言われている」とエレミヤに言われたので

す。先ほど私は、このエレミヤの過激な預言を聞いて、ゼデキヤ王は、「民衆に及ぼす悪影響を恐れて、

エレミヤを拘留せざるを得なかったのかも知れません」と言いました。


・ゼデキヤ王は、この時エレミヤのようには、自分自身で、神と対話し、神と対決し、神と格闘して、そ

こから自分の取るべき行動を見いだしていこうとはしていなかったと思われます。恐らくゼデキヤにも職

預言者のような人がいて、彼が選ぶべき道をそのような人たちから聞いていたに違いありません。しか

し、職業預言者太鼓持ちのような存在でしたから、エレミヤのようにゼデキヤ王に逆らってまで、真実

の言葉を語ることはしなかったでしょう。


・そもそもゼデキヤは、彼の前のユダヤの王であった甥のエホヤキンが、国の主だった者と共にバビロン

に捕虜として連れ去られた後に、バビロン王ネブカドレツアルによって立てられて王となった人物なので

す。その時彼はバビロンに対する隷属のしるしとして名をマッタニヤからゼデキヤと改めたのです。


・ですから、今日のエレミヤ書の箇所で、<バビロン王の軍隊がエルサレムを包囲している>と言われて

いるのは、バビロンによる第二回の捕囚の時になります。ゼデキヤはバビロン王によって傀儡の王として

立てられたのですが、ゼデキヤの宮廷は親エジプト派が優勢で、弱い性格であったゼデキヤは、彼らに引

き回されて、自らの無力を自覚せずに、バビロンとエジプトの間にあって、バビロンに反抗的で危険な外

交を行ったと言われています。


・「ゼデキヤの治世第4年に反バビロニアの策を講ずるためエルサレムに近隣の小国の使者たちが集まり

ました。祭司や預言者たちの大多数がこのような政策を支持する中で、エレミヤはただひとりその愚を説

きました(エレ27章)。ゼデキヤはその年にバビロニアに出頭を命じられたようです(エレ51:59)。お

そらくネブカドレツアルからエルサレムの謀議を問いただされ、言い開きを求められたと思われます。し

かし無事に言い抜けることができたと見えて、ゼデキヤはエルサレムに帰還します。そのため反バビロニ

アの動きは一時止まりますが、ゼデキヤの治世第9年に至って、エルサレムは新しいエジプトのパロ

(王)、ホフラの援軍の約束をあてにしてバビロニアにそむきます。ネブカドレツアルの報復は直ちに始

まり、彼は大軍を率いてエルサレムを包囲しました。そして一時エジプトの軍隊が実際に干渉しかかった

ため、ネブカドレツアルはエルサレム包囲をゆるめなければなりませんでした。これがエルサレムの士気

を鼓舞し、エレミヤが獄舎に拘留されたのは、この時だったようです。しかしエジプト軍はネブカドレツ

アルと全面的に対決する意志はなく退いたので、ネブカドレツアルは本格的にエルサレムを包囲します。

この包囲が3年続きます。その間エルサレムは飢えと疫病と包囲の恐怖に耐えなければなりませんでし

た。ゼデキヤは城壁が破られると共にヨルダン渓谷に逃れましたが、エリコでバビロニア軍に捕えられ、

ネブカドレツアルの前に引き立てられました。彼の王子たちは殺され、彼自身は両眼をえぐられて捕虜と

してバビロンに送られます。エルサレムの陥落の翌月に神殿はじめ、エルサレムの全市が火で焼かれ、破

壊尽くされます。これが第2回の捕囚です(新聖書大辞典による)。


・このようなゼデキヤ王は、その時その時に彼を取り巻く現実の動きに流されるというか、ゆきあたり

ばったりです。上っ面の歴史の動きに翻弄されて、道を踏み間違える典型的な人物がゼデキヤと言えるか

もしれません。おそらく当時のゼデキヤを王としたユダの国の民衆も、ほとんどがゼデキヤと同じではな

かったでしょうか。民衆は権力者である王や宮廷が選ぶ道に同調してついて行き易いのです。


・一方エレミヤは、ゼデキヤとは対照的に、神と対話し、神と対決し、神と格闘して、そこから自分の語

るべき言葉と、取るべき行動を、見いだしていこうとした人です。上っ面の歴史の動きに翻弄されること

なく、深い所で歴史を動かす神の歴史形成に信頼したのです。エレミヤはバビロンによるユダの国の滅亡

とユダの民のバビロン捕囚、そしてその後の捕囚の民のエルサレム帰還と回復は、神による必然として考

えました。


・私たちは、この現代という激動の歴史の中でどう生きていくのかが問われています。その時に、このよ

うなエレミヤの生き様は私たちにとっても導きの光になるのではないでしょうか。エレミヤは、彼の生き

た激動の歴史の中で、神の歴史形成に参与する信仰の民イスラエルの再建を願って預言者としての活動を

続けたのではないかと思います。


・このエレミヤはイエスの出現以前の人です。けれども、私たちはイエスの出現以後の歴史を生きていま

す。イエスは山上の教えの中で、空の鳥や野の花を指し示して、「何を食べようか」「何を飲もうか」

「何を着ようか」と言って、思い悩むなと言われました。<あなたがたの天の父は、これらのものがみな

あなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、こ

れらのものはみな与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。その日の苦労は、その日だけで十分

である」(マタイ6:31-34)と。


・イエスは、<何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい>とおっしゃいました。ここにイエスの歴史

認識をみることができるのではないでしょうか。イエスはこの世の現実のただ中に、神の国の実現成就と

神の義である平和と和解の世界の到来という神による歴史形成が脈々と流れていることを信じ、それにふ

さわしく生きたのではないでしょうか。イエスは最後は権力者であるローマ総督のピラトとユダヤ側の大

祭司らによって十字架上に殺されましたが、イエスが信じた神の国と神の義はイエスの復活を通して弟子

たちに引き継がれていきました。


・私たちはそのイエスの弟子たちに連なる者として、現代という状況の中で、先ず何よりも神の国と神の

義を求めて生きるようにと、招かれているのではないでしょうか。