なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

エレミヤ書による説教(86)

    「祈り」エレミヤ32:16-25、2018年2月25日(日)船越教会礼拝説教


・今司会者に読んでいただいたエレミヤ書32章16節から25節は、新共同訳聖書の表題のように預言者「エ

レミヤの祈り」です。エレミヤ書の中でエレミヤが「祈る」のは、ここと42章4節だけです。ただ42章4節

では、エレミヤは「祈ってくれ」と求められて、<承知しました。おっしゃるとおり、あなたたちの神で

ある主に祈りましょう。主があなたたちに答えられるなら、そのすべての言葉をお伝えします>と言われ

ていて、実際にエレミヤの祈りが記されているわけではありません。ですから、エレミヤの祈りが具体的

に記されているのは、エレミヤ書の中で、今日の箇所だけと言えます。しかし、これ以外のところでもエ

レミヤはしばしば主なる神に対して問い、訴え、答えを求めていますので、預言者として実際には何度も

何度も神に向かって祈っていたと言えるでしょう。


・さて、16節では、<購入証書をネリヤの子バルクに渡したあとで、わたしは主に祈った>と言われて

います。前回エレミヤは、神に命じられて、アナトトにある従兄弟の畑を当時購入することができた親族

の一人として購入し、エレミヤの預言の筆記者である書記バルクに命じて、その封印した購入証書とその

写しを素焼きの器に入れて長く保存させました。それは、エレミヤの預言者としての象徴行為であって、

イスラエルの神、万軍の主が『この国で家、畑、ぶそう園を再び買い取る時が来る』と言われるから>

(32:15)でした。


・エレミヤは、神に命じられたとおりにそのようにしたのですが、この預言者の象徴行為に示されてい

る、主なる神によるイスラエルの民の回復の時が必ず来るという確信を持つことができなかったようで

す。それは、エレミヤが見ているバビロン王によるエルサレム包囲とその破壊が間近に迫っていたからで

す。そのような状況の中で、なかなか主なる神によるイスラエルの民の回復を信じることができなかった

からではないかと思われます。ヴァイザーは、このことを、「長い間続くこの神の審判は、畑購入を通し

てエレミヤが垣間見せることになった慰めの光明とはどのように整合しているのか、という問いである」

と言っています。つまり目の前の現実を直視すればするほど、その厳しさの故に、将来に約束されている

希望への確信が揺らいでしまうということではないかと思われます。


・このエレミヤの祈りは元々もっと短くて、17節の神ヤハウエへの呼びかけと24節―25節を含んでいたに

過ぎないと言われていますが、その元々の短いエレミヤの祈りを読んで見ますと、エレミヤの揺らぎがよ

く伝わってきます。<ああ、主なる神よ、あなたは大いなる力を振るい、腕を伸ばして天と地を造られま

した。あなたの御力の及ばない事は何一つありません。今や、この都を攻め落とそうとして、城攻めの土

塁が築かれています。間もなく都は剣、飢饉、疫病のゆえに、攻め囲んでいるカルデヤ人の手に落ちよう

としています。あなたの御言葉どおりになっていることは、御覧のとおりです。それにもかかわらず、主

なる神よ、あなたはわたしに、『銀で畑を買い、証人を立てよ』と言われました。この都がカルデヤ人の

手に落ちようとしているこのときにです>(32:17,24-25)


・このエレミヤの祈りに顕われていますエレミヤの揺らぎは、私たちの中にもあるのではないでしょう

か。先週私たちは「この世の片隅に」というアニメ映画のビデを鑑賞しました。船越通信にも少し書きま

したが、このアニメ映画は、この世の片隅に生きる主人公すすさんの日常生活を淡々と描いていますが、

その描写はすすさんの日常生活への愛おしさが良く伝わってくるものでした。人はすずさんのように与え

られた日常生活を心をこめて生きることが、誰でも命を与えられた人間のなすべきことであり、そこにこ

そ人生の意味と目標があるということではないかと思います。聖書的に言えば、互に愛し合って日常を生

きるということでしょう。そのような本来祝福されるべきこの世の片隅で生きる私たちの日常生活に、戦

争が介入して来て、それを破壊するのです。その象徴的な出来事が広島の原爆です。「この世の片隅に」

というアニメ映画は、この世の片隅に生きる人間の日常生活の素晴らしさとそれを破壊する戦争という矛

盾の現実を生きる私たち自身の姿を、見事に描いていたように思いました。それは同時に、国家間で起こ

す戦争という非人間的な破壊行為が、一人の人間の心をこめた営みとしての日常生活を愛おしく描くこと

によって、根底的に批判されているようにも思われました。


辺野古新基地反対の現地の運動の中にも、自分の与えられた土地で命を紡ぎながら日常生活を営んでい

くことの大切さを感じているおじい・おばあの思いがその根底にあるように思います。十数年前に辺野古

のテントに行って座り込みをしたときに、一人のあばあから、この前の海の幸で戦後命を繋ぐことができ

た、この海を戦争につながる基地にしてはいけないという思いを伺ったことがありました。その思いを共

有する辺野古の反基地運動は、圧倒的な権力の暴挙と向かい合ってその闘いを続けています。おそらくこ

の反基地運動を担っている者の中にもある種の揺らぎがあるのではないでしょうか。辺野古基地建設をな

りふり構わず進める権力には、結局抗うことはできないのではないかという悪魔のささやきです。その揺

らぎの中で、同時に、未来の子供たちや孫たちに基地負担を負わせたくないという強い思いが反対運動を

担う者を支えているのでしょう。


・<主なる神よ、あなたはわたしに、『銀で畑を買い、証人を立てよ』と言われました。この都がカルデ

ヤ人の手に落ちようとしているこのときにです>。エレミヤは、揺らいでいますが、おそらくこの祈りを

祈ることによって、神と対話し、神との関わりの中で立ち直り、神の真実に自らを賭けて、その預言者

しての生を貫いていったのではないでしょうか。そしてイスラエルの民に、神の裁きと共に回復の預言も

語っていったに違いありません。


・私は、このエレミヤの祈りを思いめぐらしながら、イエスの十字架上の言葉、「エロイ、エロイ、レ

マ、サバクタニ」(わが神、わが神、なぜわたしをお見据えになったのですか)を思い起こしました(マ

ルコ15:34)。このイエスの言葉には、イエスの痛切な祈りがあるように思われます。イエスはゲッセマ

ネの祈りで、<アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてくださ

い。しかし、わたしの願うことではなく、御心に適うことを行われますように>と祈られたと言われてい

ます(マルコ14:36)


・十字架上のイエスのこの祈りの言葉には、「わたしが願うこと」と「「御心に適うこと」との間に、エ

レミヤと同様に揺らぎがあるように思われます。祈りとはそういうものではないでしょうか。自分の率直

な祈願を神にぶつけ、それに対する神の御心を尋ね求めるのです。その結果、祈る者は神の御心の示す道

を選び取っていくのです。その選びとりが、祈りが行動を引き出すということではないでしょうか。エレ

ミヤも、イエスも、神に祈ることにおいて神の御心を示され、その道を選び取っていったのだと思いま

す。


・その意味で、私たちが毎日曜日の礼拝で、また日常も繰り返し祈る主の祈りは、主の祈りを祈ることに

よって、私たちが主の祈りを行動に移す、つまり主の祈りを祈りつつ、それにふさわしく生きていくこと

ではないでしょうか。


寄せ場寿に神奈川教区が設置している寿地区センターの働きを支える教区の寿地区活動委員会で約20年

間委員として活動を共にした濱野一郎さんが、昨年11月に、2か月の入院で、忽然と天上の人になりまし

た。濱野一郎さんのモットーは「祈り即行動、行動即祈り」でした。寿地区センターのニュースに、私は

短い追悼の言葉を書きましたので、それをここで紹介させていただきます。 


・【濱野一郎さんとは、昨年7月21日の夜寿地区活動委員会を終えて、寿地区センターから大通公園まで

話をしながら一緒に帰り、そこで別れた。委員会終了後濱野一郎さんと一緒に帰るときのいつものコース

である。その時も濱野一郎さんは話しながら、少し咳き込むことがあったように思う。確か別れ際に、

「体は、気をつけて下さいよ」と濱野一郎さんに声をかけて別れたように思う。それが、私が元気な濱野

一郎さんとお会いした最後だった。/8月は炊き出しも寿地区活動委員会もお休みであった。9月になり、

22日に寿地区活動委員会があった。その前に濱野一郎さんが8月末に浦舟町の横浜市大病院で検査し、9月

中旬にその結果を聞きに行き、そのまま入院していると人伝に聞いていた。寿地区活動委員会で濱野一郎

さんの入院を確認し、私は2週間後ぐらいに病院に見舞った。その時は酸素吸入器を口につけて、息も苦

しそうだったので、話そうとする濱野さんをとどめて、一言祈って失礼した。それから3週間後くらいに2

度目の見舞に行った。その時はお連れ合いもいらして、濱野さんも落ち着いていたので、しばらく話すこ

とができた。私自身は濱野さんの状態を見て、これから肺癌の治療が始まるのだろうと思っていたとこ

ろ、11月15日未明に濱野一郎さんは忽然と帰らぬ人になってしまった。/濱野一郎さんと私とは寿地区活

動委員会の委員を20年間一緒に続けてきた。1996年から私は委員をしているが、多分濱野一郎さんが委員

になったのは私より数年早いと思う。濱野一郎さんは、明治学院大学社会学部教授時代から炊き出しを始

め寿地区センーの働きを一ボランティアとして誠実に担われた。また、寿地区活動委員会の委員長(1996

年4月~1997年3月、2015年4月~2017年3月)としても委員会のために働いてくださった。そのことを覚え

て心から感謝したい。2015年に濱野さんが明治学院のチャペルで話した奨励の一節に、「わたしは『祈り

即行為、行為即祈り』をモットーにして大 切にしています」という言葉がある。この言葉に濱野一郎さ

んの人となりがよく言い表されていると思う。/ 今は天上にある濱野一郎さんの上に主の平安を祈ると

共に、ご遺族の上に主の慰めをお祈りいたします。】


・エレミヤの祈りから、この濱野一郎さんのモットー「祈り即行動、行動即祈り」を私たちも共にしてい

きたいと思います。