注)讃美歌奏楽はインターネットでHさんが検索してくれました。
⓵ みなさん、おはようございます。今から礼拝を始めます。しばらく黙祷しましょう。
(各自黙祷)
② 招きの言葉 「主をたたえよ、日々、わたしたちを担い、救われる神を。この神はわたしたちの神、救いの御業の神。主、死から解き放つ神」。 (詩編68:20-21)
③ 讃 美 歌 494(ガリラヤの風)
④ 主の祈り (讃美歌93-5A)を祈りましょう(各自祈る)。
⑤ 交 読 文 詩編102編16-23節(讃美歌交読文110頁)
⑥ 聖 書 エフェソの信徒への手紙2章14-18節(新約354頁)
⓻ 祈 祷(省略するか、自分で祈る)
⑧ 讃 美 歌 469(善き力にわれかこまれ)
https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-469.htm
⑨ 説 教 「平和の福音」 北村慈郎牧師
今年も平和聖日を迎えました。ここ数年ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まってから、ハマスのイスラエル攻撃と人質確保に触発されてイスラエルのガザへの軍事攻撃も続き、周辺国やイランにもその攻撃を拡げて、現在に至っています。その間ほかの国々でも軍事衝突が起きていて、現在の世界の状態は正に戦争状態と言っても過言ではありません。
私たちが所属する日本の国も、かつて無謀な戦争を行い、約2,000万人と言われていますが、アジアの国々や他の国の人々の命を奪い、日本人も戦争や戦災で約300万人の人の命が失われたと言われています。そのような非人間的な悲惨な戦争を行った日本の国は、戦後マッカーサーという占領軍の指導があったとは言え、戦後平和憲法を選択しました。
そしてその日本国憲法の第2章には「戦争放棄」を掲げ、第九条の【戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認】にはこのように記されています。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
しかし、戦後日本の国はアメリカの支配から脱却することができず、現在に至っています。戦後日本は独立して、アメリカの同盟国としてアメリカの後ろ盾によって経済復興は遂げましたが、それも日本経済がアメリカ経済を追い越すところまでくると、アメリカはそれまでの態度を一変して、日本経済を叩くようになり、現在に至っています。
一方同盟国としての日本はアメリカとの軍事同盟を強いられて、戦後アメリカ占領下の時に米軍基地を、沖縄を中心として日本各地に作られ、現在に至っております。
現在でも日米地位協定によって、日本政府は、米兵の犯罪を日本人と同じように取り締まり、裁くことすらできません。この地位協定の抜本的改定を日本政府に求めても、日本政府は現在まで真剣に取り組もうとはしていません。
米軍基地がある他国では考えられない「思いやり予算」も日本政府は米軍に出して、米兵の住宅を作り、電気代も支払っています。ですから、日本という国は独立国とは言えません。今でもアメリカの属国だと言っている人も多くいます。
近年台湾に中国が進出するのではという台湾有事が叫ばれるようになって、日米の軍事同盟の強化は目に余るほどになっています。アメリカの要求により日本政府は軍事予算を大幅に増やし、アメリカから兵器を爆買いし、また、自衛隊の強化も進んでいます。
船越教会の近くにある海上自衛隊の施設も新しくなり、比与宇自衛隊弾薬庫に新しく迎撃ミサイル「SM3」を格納するとみられる大型弾薬庫二棟が新設されています。何よりも南西諸島に自衛隊のミサイル基地が造られ、米軍と自衛隊が一体となって軍事訓練が行われていますが、これは明らかに日米軍事同盟の強化の現れと考えられます。
何故日本政府は対話による外交によって、日本のかつての中国侵略を謝罪し、中国とも平和的な関係を構築できないのでしょうか。
それは、現在日本が自らの将来を自分で選択できる独立国とは言えず、アメリカの同盟国としてアメリカとの一体化を選んでいるからではないでしょうか。このままでは、再び日本の国は戦争に巻き込まれる危険性を回避できません。
何故日本政府は、従属的なアメリカとの関係を改善し、憲法第9条を文字通りに守ることをしないのでしょうか。憲法第9条を文字通りに守って、コスタリカのように軍隊のない国にできないのでしょうか。
今日の船越通信にも書いておきましたバルトの言葉を、この引用では割愛したところも含めて紹介したいと思います。
これは8月6日のバルトの『一日一章』の中にある言葉です。8月6日は、御存じのように広島に原爆が投下された日です。
【あらゆる関係者にとり、戦争を初めから無意味にする武器(核)で戦争の準備をすることは、終わりにしよう! このような武器の使用による相互の脅迫は終わりにしよう! 平和の内にありながら我々すべてにとって明らかに、すでに生命の危険である(核)実験を、即時止めよ! 東西の人びとはこのことに関して起こっている狂気に対して、立ち上がらなければならない。そうすることで政府も報道も覚悟せざるを得ないような第一級の政治的事実を作り出さなければならない。原理原則、イデオロギー、体制が重要なのではない。権力問題が重要なのではない。『重要なのは生命である。人びと、人間が重要である』。/『核戦争』は最初の一瞬から『万物の終わり』である。それによって戦争遂行そのものがすべて意味も失ったことになる。核戦争によって、どのような戦争も義の戦いであることを止めてしまう。かくて不正な戦争の他にもはや何も存在しえない。かくてキリスト者にとっては、兵役拒否より他に何も残らないであろう。/「キリスト教は『爆弾と共に』(カール・ヤスパース)ではなく、むしろ『爆弾に反対して』生きることができるだけである」。】
各国の政府や政治家は、経済や自国の威信よりも、「重要なのは生命である。人びと、人間が重要である」ということ、或いは「人間だけでなく、あらゆる自然や動植物の生命が重要である」ということを、何よりも大切にして政治に携わっていると、言えるでしょうか。
かつてインドのガンジーのような人は、そのような政治家だったかも知れません。最近ではドイツのメルケル元首相にもそのような面が感じられたように思われます。しかし、殆どの政治家にはそのような「人間や全ての命が重要である」という思いは感じられません。ロシアのプーチンやアメリカのトランプには、自分の反対者は同じ人間であるという認識がどこまであるのか疑問なくらいです。
そういう現代の政治状況の中で、私たちキリスト者は日常を生きています。
かつて資本主義経済の成立に重要だった産業革命の時代には、マックス・ウエーバーによれば、資本主義の形成にとって勤勉なキリスト者の倫理的エートスの影響が大きかったと言われています。おそらくその時代は人類が全体的に貧しかったので、産業革命によると富の増大は人間のためになると、多くのキリスト者は信じて、勤勉に働き、資本主義経済の形成に寄与したのだと思われます。
その資本主義経済が持続する中で、現在は軍需産業が世界大になっていて、資本主義経済そのものが戦争を誘発する原因になっています。
私たちはそのような時代と社会の中で生きるキリスト者として、どのように平和を求めてゆくことができるのでしょうか。バルトが言うように、国や民族を異にしていても、私たち人間は「(核時代に)起こっている(戦争という)狂気に対して、立ち上がらなければならない。そうすることで政府も報道も覚悟せざるを得ないような第一級の政治的事実を作り出さなければならない」ので、政治的な平和運動にも参与していく必要はあります。しかし、残念ながら政治的な平和運動によって現代の社会が変わるとは思えません。それでも平和運動は続けて行かなければなりません。
同時に私たちキリスト者には、先程司会者に読んでいただいたエフェソの信徒への手紙に記されている「平和の福音」が与えられていることを思い起こしたいと思います。この平和の福音は、イエス・キリストによって既に私たちの中にある神の霊なる命の力です。その平和の福音は、原始キリスト教の時代の社会の中にあった人間と人間を隔てる壁である、ユダヤ人と非ユダヤ人「異邦人」との間にあった敵対関係を止揚する力をもっていました。エフェソの信徒への手紙では、このユダヤ人と非ユダヤ人である異邦人との間の壁がなくなって、イエス・キリストの福音によって両者が同じ「神の民」になったことを積極的に評価しているのであります。ですからイエス・キリストの福音は、エフェソの信徒への手紙の著者にとっては「平和の福音」と言われているのであります。先ほど司会者に読んでいただいたエフェソの信徒への手紙の箇所をもう一度読んでみたいと思います。
「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、(ユダヤ人の中で自分たちと非ユダヤ人である『異邦人』を区別していた)規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうして、キリストは双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」(エフェソ2:14-16)。
ここには国家や民族によって対立していたユダヤ人と非ユダヤ人である異邦人とを、キリストは「十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」と言われています。ですから、「キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。それは、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです」(2:17-18節)と言うのです。国や民族が違っても、「このキリストによって、(ユダヤ人と非ユダヤ人である『異邦人』である)「わたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができる」とすれば、それは私たち人間にとって平和以外の何ものでもありません。
私たちキリスト者は、このイエスの「平和の福音」に基づいて、私たち人類は国や民族を異にしていても、一つの「神の民」であることを信じることができるのではないでしょうか。すべての人は「神の民」であり、「神の子ども」なのです。私たちがイエス・キリストを信じて、キリストのからだである教会の一員に加えられたということは、人類がそのような神の民であるということを信じ、神の民の一員としてキリスト者は、国や民族を異にしていても、それぞれの市民社会の中で私たちが神の民であることを証言して生きていくことが求められているのではないでしょうか。それぞれの置かれた状況の中で、『重要なのは生命である。人びと、人間が重要である』ことを貫いてゆくことが、私たちキリスト者の課題ではないかと思うのです。その課題を果たすために、平和運動にも積極的に関わる人もいれば、全ての人の人権を守るために差別をなくす運動に関わる人もいるでしょう。人間の間にある敵対関係が克服されていない現状の社会にあって、平和の福音によって平和をつくり出す課題は無限にあります。船越教会という少人数の中でも平和の福音によって、私たちが神の民として一つになっているかが問われています。平和は相手がどのような人であっても、その人のためにもイエスは十字架にかかられたことを覚えて、同じ神の民の一員として私たちが関わることなのではないでしょうか。
バルトは、核時代を生きる「キリスト者にとっては、兵役拒否より他に何も残らないであろう」とまで言っています。
世界の各地で戦争が起こっていて、現在の日本政府も日米の軍事同盟を強化して、戦争への備えに力を注いでいるこの現状にいて、イエス・キリストの「平和の福音」によって生きようとしている私たちがどの様に生きて行くのか。国家や民族を越えてすべての人は神の民であり、神の子どもであることを覚え、祈りつつ、平和を造り出すためにそれぞれの道を進んでいきたいと願います。
主がそのように私たち一人一人を導いてくださいますように!
祈ります。
神さま、今日も礼拝に集うことができましたことを心から感謝いたします。
神さま、今日は平和聖日です。8月第一主日を日本基督教団は、月6日に広島に原爆が投下されたことを覚えて、平和の大切さを確認するために「平和聖日」と定めました。
今世界ではあちこちで軍事衝突が起きています。神さま、どうか国家や民族を異にする人間同士が、軍事力ではなく、対話による問題解決の道を歩めるように導いてください。
イエスは、最も弱い立場の人を大切にされました。暴力によって他者を排除することはしませんでした。あなたのみ心に従って誰も排除せず、共に生きられました。私たちもイエスに倣ってそのように生きることができますように。
今様々な苦しみの中にある者をその苦しみから解き放ち、おごり高ぶる者を打ち砕いてください。
今日から始まる新しい一週の間、私たちの仲間の一人一人をその場にあってお守りください。
新しい一週の全ての人の歩みを支えて下さい。
この祈りを、イエスさまのお名前を通して、御前にお捧げ致します。
アーメン。
- 讃 美 歌 419(さあ、共に生きよう)
https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-419.htm
- 讃 美 歌 81(主の食卓を囲み 1,2節)
https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-081.htm
- 聖 餐 式
- 讃 美 歌 81(主の食卓を囲み 3節)
https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-081.htm
- 献 金
⑫ 頌 栄 28
http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-028.htm
- 祝 祷
主イエス・キリストの恵み、神の慈しみ、聖霊の交わりが、私たち一同の上に、また全ての人の上に豊かにありますように。 アーメン
⑭ 黙 祷(各自)
これで礼拝は終わります。