なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信、№676

船越通信、№676  2025年8月3日(日) 

 

7月27日日(日)は礼拝後12:30より第28回平和と人権を考えるDVD鑑賞会を行いました。毎回DVD鑑賞会は12:30開始にしているのは、地域の人も来るからです。今回は誰も来ませんでした。礼拝参加者でDVD鑑賞会に出る人は、礼拝後何時も用意して下さるおにぎりを食べますが、この日は期限切れの近づいた備蓄食料とHさんの菜園でとれたミニトマトのサラダをいただきました。

 

今回の作品は、「ひめゆり学徒隊の真実を知ろう」ということで2023年11月4日放送のETV特集「私と先生とピアノ」を取り上げました。今回ひめゆり学徒隊のDVDを取り上げたのは、5月3日那覇市で開かれたシンポジウムで自民党の西田議員が、「ひめゆりの塔の展示を見たら、日本軍が入ってきてひめゆり学徒隊が死に、アメリアが入ってきて沖縄が解放されたという文脈だった。歴史の書き換えだ」と発言し、それに対してひめゆり平和祈念資料館はすぐに声明を出して「議員が主張するような展示は、過去にも現在にも存在していない」。「当資料館は学徒隊の体験と証言を中心に、戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えることが目的。特定の政治的立場から展示は一切していません」と批判していますが、その西田議員発言があったからです。

 

今回のDVDは、案内チラシにも記されていますように、「ひめゆり学徒隊」の少女たちが、「その悲劇的な最期は語られてきたが、どのようにして苛酷な戦場に立つようになったか」を「生還者の証言を元に、少女の眼にはどんな日常に映っていたか、かけがえのない時が損なわれ、変容していく世界とは?」どのようなものであったのかに焦点を当てて作られています。

 

この「私と先生とピアノ」に出て来る「先生」は「沖縄師範学校女子部の音楽の先生・東風惠位(こちんだ・けいい)さん。「『学徒隊』の引率として動員され、1945年6月19日、現在の慰霊碑『ひめゆりの塔』がある場所の近くで命を落とした。23歳だった。1945年3月の卒業式で歌おうと『別れの曲』を作曲。女学生たちは、卒業に向けて張り切って練習していたが卒業式は行なわず、謳われることはなかった」。

 

「私(モモちゃん)」は「与那覇百子さん 2024年11月8日、老衰のため那覇市内の自宅で死去。96歳」(以上案内チラシから)。なお鑑賞会当日にNさんが用意してくれた資料の中に与那覇百子さんの詳しい紹介がありますが、その略歴に当たる部分を転載しておきます。

 

「与那覇百子:沖縄首里市(現・那覇市)生まれ。沖縄師範学校女子部予科在学中の1945年3月26日、ひめゆり学徒隊の一員として南風原陸軍病院に動員。最前線で負傷兵の看護に従事するも、米軍の捕虜となる。/2005年から2008年にかけて、ひめゆり平和祈念資料館で沖縄戦の“語り部”を勤める。その後も自治体や学校などの要請を受け、全国各地で自らの戦争体験を語り続けました、与那覇百子さんは戦後埼玉県に移り住み、70代で沖縄に戻り住むようになりました」。

 

さて、私にとってのひめゆり学徒隊と言えば、1953年(昭和28年)に公開された今井正監督の映画『ひめゆりの塔』です。当時学校からの推薦があったのだと思いますが、小学校6年生だった私は、一人で映画館へ観に行きました。

 

その頃私の住んでいたのは横浜市西区浅間台という所ですが、鎌谷町に隣接している所で、鎌谷町の山を越えて行くと天王町に出ることができます。その天王町に映画館があって、そこで「ひめゆりの塔」が上映されていました。

 

私は行き帰り歩いてその映画館に行き、「ひめゆりの塔」を観ました。「ひめゆりの塔」は、今回鑑賞した「私と先生とピアノ」とは違って、ひめゆり学徒隊の悲劇的な最期が描かれたものです。「ひめゆりの塔」のあらすじは以下の通りです。

 

「1945年(昭和20年)3月、米軍が沖縄上陸作戦に着手するなか、艦砲射撃と艦載機の機銃掃射が続く沖縄。ひめゆり部隊と呼ばれ陸軍病院に配属された女子学生たちは、黙々と任務を遂行していく。卒業式も壕のなかで行われる。いよいよ米軍が迫ってくるなか、軍はいち早く退却。女子学生たちは丸腰で逃げ続けるしかなかった」。

 

当時12歳の少年であった私には、映画「ひめゆりの塔」は、恐怖以外の何ものでもありませんでした。

 

西田議員は、戦争の実態を、それを経験した人間の立場に身を置いて観るのではなく、政治的なイデオロギーで見ているということでしょうか。政治家の役割は、その社会に住んでいるすべての人の命と生活が公正に守られているかどうかにあると思うのですが、残念なことですが、そういう政治家はなかなか見当たりません。選挙する側の私たち市民も、自分だけの利害を政治家に期待してしまうからでしょうか。

 

この週は、木曜日の辺野古新基地建設反対の座り込みもお休みして、私の支援会のことで時間を使いました。先週金曜日に通信第36号の印刷を発注してもらいましたので、30日(水)に発注してくれたSさんからプリントパックからの商品の発送メールが転送されてきました。

 

それによると船越教会に31日(木)に届くことになりますので、31日(木)は座り込みを休む連絡をして、朝早めに鶴巻を出て午前9時ごろには船越教会に行きました。今回は通信第36に、9月15日(月・休)に東京都民教会で開催する支援コンサートのチラシと宣言賛同者現在版と署名用紙を同封します。コンサートのチラシは通信同様既に印刷を発注して出来上がって船越教会に持って来ていますので、宣言現在版と署名用紙を船越で印刷しました。

 

8月1日(金)まで船越教会にいて、この日2件の船越教会宛て不在連絡票の郵送物を受け取ることになっていましたので、支援会の通信発送の準備をし、この日の夕方鶴巻に戻りました。

 

この週の前半には、7月23日に基地・自衛隊問題小委員会の公開学習会をしたときに、その講師の一人である相模補給廠監視団のSさんから、Sさんが毎月発行している「監視団ユース」への寄稿を頼まれていましたので、その原稿を書きました。

 

その原稿の中で私は8月6日の広島原爆投下を踏まえて書いたバルトの以下の言葉を引用させてもらいました。「あらゆる関係者にとり、戦争を初めから無意味にする武器(核)で戦争の準備をすることは、終わりにしよう! このような武器の使用による相互の脅迫は終わりにしよう! 平和の内にありながら我々すべてにとって明らかに、すでに生命の危険である実験を、即時止めよ!・・・原理原則、イデオロギー、体制が重要なのではない。権力問題が重要なのではない。『重要なのは生命である。人びと、人間が重要である』」。「キリスト教は『爆弾と共に』(カール・ヤスパース)ではなく、むしろ『爆弾に反対して』生きることができるだけである」。

 

ひめゆり学徒隊」に対する西田議員の発言も、何が重要であるかを観ていなかったということではないでしょうか。私たちも自戒したいと思います。