なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

護教ということ

このところ護教ということについて考えさせられています。護教とは教えを護るということですが、キリスト教の場合教会を維持し護るということでもあります。
 
たとえば教会員の高齢化が問題になるとき、高齢化していく教会員に教会がどう寄り添って、その方々の痛みや苦しみをどう支え合っていかれるのかということが問題になるのではなく、若い人が少なく教会が衰退していくのではないかということの方が問題になります。
 
そこでは組織として教会の持続が問題になっています。そしてそういう問題意識から教会の存続のために「伝道」が奨励されます。しかしそのようにして行われる「伝道」には、福音書に描かれているイエスの生涯とその働きがもっている、人びとが自然と引き寄せられていった命があるのでしょうか。私には疑問に思われます。
 
エスの生命力といったらよいのでしょうか、イエス神の国の宣教とその到来の徴である病や悪霊に憑かれた人たちがその苦しみから解放されていった福音の喜びでしょうか。そういうイエスの命の継承こそが私たちにとっての大切な課題であり、護教ではないように思うのです。
 
もしそういうイエスの命の継承がないとすれば、無理して教会を護る必要はないように思います。イエスの命は別の形で必ず人々の中で継承されるに違いないからです。
 
もうそろそろ牧師を隠退する年代に私もなってきましたが、最後まで教会に集う方々と共にイエスの命を求めて歩んでいきたいと思っています。