なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

飼い犬ムムの死

  先週の金曜日の夜に、17年間私たち家族と一緒にいました飼い犬のムムが息を引き取りました。臨終には妻が立会いました。私は、そのちょっと前にしばらく、横寝の状態で荒くなった息をしているムムの傍にいましたが、仕事をしに牧師室に入っていました。この時が近づいていると覚悟はしていましたが、いざ亡くなると寂しいものです。
 
 ムムは17年前に、当時私たちは名古屋の教会にいましたが、その教会の方からもらいました。その方の家の飼い犬が子どもを産んで、他の子犬はもらわれていきましたが、一匹だけ残ってしまったから、先生のところでもらってもらえないかと連れてきたのです。その頃私は、名古屋の教会が郊外に取得していた450坪ほどの敷地に、その教会の旧会堂を移築して開拓伝道をはじめて、ほぼ第2種教会になっていた教会の方に住んで、二つの教会を牧会していました。
 
 ちょうど66日のことです。子犬は4月はじめ頃に生まれていました。生後2ヶ月くらいでした。子犬を私のところに連れて来た教会の方は、この犬はおばかさんだけど、可愛いので、と言って、私のところに置いていきました。ムムという名前は、66日にもらったのでつけました。その場所に私たちはムムが来てから約1年間いました。その間450坪の土地の周りのフェンスから犬が出られないようにして、ムムを放し飼いの状態で飼いました。ほぼ野生の状態でした。躾もほとんどしませんでしたので、おすわりも、おあずけもできませんでした。
 
 それから1年後にその教会から元の教会に戻り、そこに1年間いて、現在の横浜の教会に転任してきました。転任する時には、息子が拾ってきた子猫のチョビと一緒に、ムムと私は息子の自動車で東名を走り、横浜にやってきました。横浜に来た早々チョビが身ごもり、3匹の子猫を産みました。三毛ねこの子猫は貰い手がありしたが、2匹の寅ネコの子猫は貰い手がなく、チョビと2匹の子猫のウスとマガリが4階の牧師館の住人になりました。ムムは一階部分にある狭い庭に放し飼いです。ムムは犬好きの教会の方の人気者でした。散歩に連れて行ってくれる人もいれば、自分の家から持ってきた食べ物を、密かに与えてくれる人もいました。
 
 それから15年が経ち、数年前にチョビとウスが逝きました。1年近く前からムムも牧師館での生活でしたが、今回ムムも逝ってしまいましたので、今は15歳の寅猫のマガリだけになりました。犬も猫も餌は私が買ってきて、毎日与えていましたので、一番私になついでいました。
 
 ですから、今はちょっと寂しい思いをしています。寅猫のマガリが一匹だけ残りました。このマガリは話し猫で、いつもはうるさいくらいですが、何となく元気がありません。
 
 人もこうしてこの世を去っていくのでしょう。牧師という仕事上、沢山の方々の死とその家族に立ち会っていますが、生きている者ができることは、いたずらに言葉をかけるよりも、その時と場所を共有することなのでしょう。