なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(369)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(369)復刻版です、2006年10月のものです。

 今日はぽかぽか陽気でです。船越教会の庭に植えられた梅も満開です。その隣なりの桜の枝には

今にも開きそうな蕾がいっぱいです。日曜日にはまた寒くなるとのことですが、春がすでにやって

きました。


      黙想と祈りの夕べ通信(369[-4]2006・10・22発行)復刻版


 来週教団総会が開催されます。今回は第35(合同後20)回の総会になります。第33(合同

後18)回教団総会で、沖縄教区から出された「名称変更議案」他合同のとらえなおし関連議案が

すべて審議未了廃案になり、その後沖縄教区は教団との間に「距離を置く」という決断をし、現在

に至っています。私が教団総会に関わるようになりましたのは、この第33(合同後18)回教団

総会からです。その時神奈川教区の総会議員として教団総会の義議場にいました。それから4年間

が経過し、今回第35(合同後20)回教団総会の開催に至っています。今回の総会に議長の山北

さんは総括報告を出していて、その中で1966年以降の40年間を「荒野の40年」(ドイツの大統領ヴ

ァイゼッカーの言葉)と言い、戦責告白、万博東神大問題、教師検定問題、合同のとらえなおし

等、この40年教団が苦悩しながら背負ってきた課題をすべて否定するかのごとき個人的な所見を

述べています。現在の政府の右傾化に対応するかのようです。先日神奈川教区で現在の教団の執行

部に批判的な立場の教団総会議員8名が集まり、話をしました。そこでもこの議長の総括報告が話

題になりました。その所見の中には、「未受洗者への陪餐」を可とする聖餐式は正しい聖礼典執行

ではないと明記されています。教団の中には相反する立場がありますが、その統合への道は、教団

成立の問題(国家の強制によって教団が出来た)をどう克服するのかを真剣に考えていく中でしか

ないと、私は思っています。それを、今の山北議長のように一方的な立場により他を切り捨ててい

こうとするのは、混乱が深まるばかりです。

 上記の私の発言に続いて、一人の方からの発言がありました。友人から借りて岩波新書の『昭和

史』を読んでいる。大正デモクラシーで民主的な動きがあったが、その後治安維持法ができ、軍隊

が中国に進出していき、その軍隊の増強がなされる。当時の議会は政友会と憲政会の二大政党であ

った。自分はこの二大政党の議会の方はそれなりに民主化していて、軍隊や警察という特殊な勢力

が日本を右傾化させていったのではないかと思っていたが、『昭和史』を読んでいると、二大政党

治安維持法を認め、軍隊を大陸に進めていったと考えられる。憲政会は(現在に置き換えれば、

民主党であろうが)治安維持法や軍の大陸進出への動きには批判する姿勢だったのではと思ってい

たが、そうではなく、むしろ支持していたという。現在の自民党民主党も同じようになっていく

ように思えてならない。民主主義、平和主義の難しさを思う。『昭和史』を読み出しての感想であ

る。

 続いて別の方からの発言もありました。この黙想と祈りの夕べの前に友人の中で体調の優れない

方、落ち込んでいる方へ手紙とハガキを書いていた。その方のことを思いながら書いた。親しい方

の命日も近い。ちょっと気持が沈み、重たくなっていたところに、ちょうど電話があった。その電

話はうれしい内容だった。手紙を書いたり、電話をかけたりして、一人一人の繋がりの豊かさを思

い、素敵だなあと感じる。2日くらい前に筋ジストロフィーの画家である双子の兄弟の番組が放映

されていた。二人とも20歳くらいまでの命と言われて、弟が先に亡くなって、遺された兄を追った

番組であった。何度も手術を繰り返して生きていかなければならない。自分のライフワークは、人

と人、110人の絵を描くことであると。看護士さん、患者さんの笑顔を、写真などから描くことに

よって、自分が何故こんなに辛い思いをしてまでも生きていくのか。笑顔からエネルギーをもらっ

ているからと。声を出せない状況で、自分ひとりが生きているのではなく、人と人との繋がりの中

で生かされていると言う。苦しい状況を生き抜いた人の中から出てくる笑顔から勇気をもらって生

き続けることを思う。