船越通信、№624 2024年7月7日(日)北村慈郎
- 6月29日(土)に清水ヶ丘教会で第153回神奈川教区総会が開かれました。そこで秋に開かれる教団総会の教区総会決議議案として私の戒規免職処分の再審理を求める常置委員会提案の議案が諮られました。この議案の内容は、私に対して戒規を申立てた当時の信徒常議員7名の戒規申立も、私の上告を受けて選ばれた審判委員5名の選任も公正・中立性について疑いがあるので、今秋の教団総会で選ばれる常議員会で新たな審判委員を選び、再審理を求めるというものです。神奈川教区総会は、今までは教区総会決議免職撤回議案をして教団総会議案としてきましたが、その議案は教団総会毎に議案整理の段階で議長によって、「これは教憲教規違反の議案なので扱えない」と言われ葬られ続けて来ました。そこで今回は再審理の形の議案にして出したわけです。教団問安使の藤盛勇紀副議長との質疑応答において、この私の戒規に関わる議案との関係で議場からいろいろな発言がありました。今までの教区総会での免職撤回議案の審理とは、今回は大分雰囲気が違っていて、教団の私への免職処分を不当とすることを前提にした発言が多かったように思います。唯一未受洗者配餐をした私への免職処分は正しく、北村がそれを悔改めて教師に復帰するように願うという発言が、この議案に対する反対意見として新横浜教会牧師のKさんからありましたが、その他はこの議案に賛成の立場からの発言だったように思います。まず初めに元東神大教授のYさんから、東北教区の常置委員会による一教師の戒規申立をめぐる教区常置委員会と教団教師委員会とのやりとりで、一時不再議の原則を教師委員会は一総会期に限ったので、私の再審理も教区常置委員会を通して教団教師委員会に申し立てることができるという発言がありました。続けて茅ヶ崎南湖教会の信徒議員のWさんから、Wさんは私の議案が出る教区総会で毎回、自分は未受洗者に開かれた聖餐には反対だが、私の免職処分は教団の手続きに瑕疵があるので教団は私の免職処分を撤回すべきだと発言して下さっている方ですが、今回の議案については「再審理」ではなく「撤回」とすべきだという発言をされました。それに対して川崎戸手教会牧師のSさんから、今まで「撤回」では教団は拒否し続けているので、この議案を「再審理」にした意図の説明がありました。また、茅ヶ崎南湖教会牧師のAさんからは、Wさんの発言をフローする発言もありました。また、隠退教師の元本牧めぐみ教会牧師のMさんからは、長老主義の教会観である大会(⋕日本基督教団)、中会(⋕教区)、小会(⋕各個教会)を例に出して、長老主義の教会では大会は信仰告白のような教会の全体的な問題を担うだけ、殆どの教会の課題や問題は中会が担っているように、神奈川教区は中会の機能を持つべきだ、そうすれば私のような問題はそもそも教区を飛び越えて、教団が扱うことはないのだという主旨の発言をしました。このMさんの発言は、教区総会での按手・准允の際などに、教区は教団から委託されて按手准允を行なうのであって、教区には教会性はない(だから、按手・准允の時に質疑応答があるのはおかしいという意味だと思われます)という発言をくり返し行っている横浜指路教会牧師のFさんの考えとは違うことになります。今回Mさんの発言があったということは大きかったと、私は思っています。神奈川教区は、1960年代半ばに東京教区から分離独立し、教区の教会性を強調して教区形成をしていきているのです。最後に私の神学校時代の同級生でもある鎌倉泉水教会牧師のSさんが、教団による私の戒規免職処分は教義を巡る教師の処分という点では、戦時下教団の6部・9部の問題(日本基督教団は、獄中にある教師と家族に、教会設立認可の取り消しと、教師の自発的な辞職を求める通知を行った)と同じであると言われました。このSさんの発言には、当事者の私もそういう面があるのかと、認識を新たにさせられたところがありました。Sさんは、2010年9月26日に教団における私の戒規免職処分が最終的に決定したら、その直後に発行された教団年鑑の教師名簿から私の名前が削除されたことや、年金の25%カットに触れて、50年近く誠実に牧師職を担ってきた者への教団のこのような処分はあってはならない、北村さんには申し訳ない気持ちでいっぱいだと、自分が教団側を代表して責任を感じているかのように発言されました。Sさんが私の年金のことを話しましたので、私も発言を求めました。そして年金局は教団から免職された私を今でも通常の教師扱いをしていることを話しました。何故なら、年金局は私の年金は免職時から支払い、免職後の掛け金は紅葉坂教会に返還すると言いながら、私が申請をしないからと言って、現在まで私への年金支払も免職後の掛け金の返還もしてはいません。通常教師は隠退した時に、教区に隠退届と年金申請を出して、年金が支給されます。私は2010年9月26日の免職処分決定によって、実質的に教団教師としては隠退させられており、それ以降教団は私を教会担任教師としては認めていません。教団から強制的に隠退させられて、教会担任教師でない私が隠退届を出して、年金の申請をすることなどできるはずがありません。ところが年金局は私にそれができるとし、私を現役の教師扱いしています。このことは、教団は一方では私を免職にして教師でないとしていながら、他方では年金を申請ができる現役の教師としているという、私に対するダブルスタンダートな姿勢をとっていることになります。そういう非人権的なことを教団は私に対してしているのです。以上は教団問安使との質疑応答での発言ですが、私の再審理の議案も、出席者約120名中約80名の賛成多数で可決されました。