船越通信、№679 2025年8月31日(日)
24日(日)は礼拝出席者5名で、礼拝後直ぐに散会しましたので、私も後片付けをしていつもより早めに船越教会を出て、鶴巻には午後2時半ごろに帰りました。
17日(日)が夏期休暇で礼拝説教がありませんでしたので、私の場合1回でも説教のない日曜日がありますと、必ず次の日曜日の説教準備に何時もより時間がかかります。一週間のルーティーンが休みが入ることによって崩れるからかも知れません。
そのために24日(日)は睡眠不足で説教したのかも知れません。鶴巻に帰ってから、娘が夕食の準備をしてくれたのですが、夕食前に私は昼寝をしましたが、爆睡していたようです。
若い時はいつも日曜日の説教は睡眠不足でしていたように思いますが、歳を取ってからは出来るだけ睡眠不足にならないようにしてきました。特に80歳を過ぎてからは睡眠不足だと声も出にくくなるように思われるからです。慣性の法則が崩れることは、特に齢を重ねた者にはよくないのかも知れません。これからも気を付けたいと思います。
この週は何だかいろいろと忙しく過ごしました。25日(月)は朝に寿地区センターの主事から電話があり、寿地区活動委員会の委員長である私に話があるので訪ねたいというので、主事の都合をお聞きしたところ、この日の午後5時過ぎなら鶴巻に来れるということなので、了解しました。午後5時半ごろ鶴巻を訪ねてくれた主事と2時間ほど話し、その後近くの食堂で食事を共にして、午後8時過ぎに鶴巻温泉駅近くまで主事を送り、そこで別れました。
26日(火)は、25日(月)朝メールを開けましたら、船越教会の礼拝に時々出席して下さっています耳の不自由なOさんが、8月9日(土)紅葉坂教会で行われた平和集会に出席した後、体調を崩し入院していて、私に見舞いに来て欲しいという伝言メールがありました。
そこでOさんの入院している病院に見舞いに行きました。その病院の面会時間は午後3時からでしたので、午後3時に間に合うように鶴巻を出ました。ちょうど午後3時に病院に着き、受付で面会票を書き、病棟をお聞きして、Oさんに面会したところ、ちょうど検査を終えて、病室に帰って来たところで、0さんにお会いできました。
ご家族と思われるお二人が付き添っていましたが、耳の不自由なOさんと私がOさんのスマホのアプリで話し始めましたら、お二人は帰っていかれましたので、30分ほど0さんと話し、最後にお祈りをして、私は鶴巻に帰って来ました。
私は最初の面会で祈る時には、マタイによる福音書8章17節の「彼(イエス)はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った」という、イエスに適用された第二イザヤの主の僕の歌の一節を読んで、祈るようにしていますが、この日もそのように祈りました。
Oさんは検査の結果が良好であれば、家に帰ることができるようです。主の導きをお祈りいたします。
27日(水)は午後2時に私が寿地区センターに打ち合わせのために伺いました。1時間半ほどで打ち合わせは終り、午後5時には鶴巻に帰って来ました。
28日(木)はいつものように国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行きました。この日は5人が座り込みました。私以外は女性の方々で、この日はその女性の方々に20歳数カ月という若い青年が話しているのをすぐ近くで聞いていました。
彼は私たちが石壁に貼っている横断幕などの写真を撮っていいですかと声をかけてきて、皆さんは沖縄から来ているのですかと尋ねて来ました。女性たちが、そうではない。東京近辺の人だと答え、そこからいろいろな政治的な話し合いに進展していきました。
彼は自分のことをいろいろと話してくれました。自分は中国での生活経験もあり、今は大学生だが、香港の民主化闘争によって影響されたと言っていました。それまでは自民党の安倍晋三を支持していたが、今は立憲民主党支持だが、この前の参議院選挙では社民党に入れたと言っていました。
参政党の「日本人ファースト」のような排外主義には批判的でした。この青年はSNSによる情報操作にも影響されないで、自分でいろいろと考えて行動しているように見受けられました。その意味では、このような青年が多くなってくれればという思いを持ちました。
国会前で座り込みをしていますと、いろいろな人が声をかけて来ますが、この青年のような人はめずらしいと思います。
基地小の委員の一人から過日開催された「日・北米教会脱軍事力フォーラム」のユーチューブを送っていただきました。早速視聴させてもらいました。
この企画は日本とアメリカのキリスト者が協力して、それぞれの国が「脱軍事力」をめざすように働きかける運動ではないかと思います。そういう運動が広がることは喜ばしいことです。
私は、キリスト者とは神の国の住人ですから、現実の世界ではキリスト者は「世界市民」ではないかと思っています。神の国の住民は、民族や国を異にする人々ですが、民族や国に縛られているのではなく、民族や国を相対化して、イエスの友、イエスのチームとして一つではないかと思います。
原始キリスト教で教会の宣教がユダヤ人を超えて非ユダヤ人(異邦人)に拡がっていったのも、主イエスの福音そのものが全ての人に開かれていたからではないかと思います。
かつてナチズムの時代にボンフェッファーは当時のエキュメニカル運動から支えられていた面があるように思います。世界市民であるキリスト者はナチズムのような自国民を神聖化してユダヤ人を虐殺する国に否を突き付けるはずだからです。
ところがナチズムの時代にドイツの教会の中には、「ドイツ・キリスト者」としてナチズムに協力した教会もありました。日本でも日本基督教団の成立そのものが当時の天皇制絶対主義的な国家の圧力によるものであり、1941年に成立した日本基督教団はその後朝鮮の教会に神社参拝を強制したり、日本国家の戦争に積極的に協力しました。
その時の日本の教会のキリスト者は世界市民とは言い難い存在でした。現在「アメリカファースト」を掲げるトランプ大統領の支持基盤の中にもアメリカの原理主義的なキリスト教があると言われています。そのような教会のキリスト者である彼ら・彼女らは「アメリカファースト」であり、世界市民とは言い難い存在ではないかと思われます。
私にはよく分かりませんが、現在エキュメニカルムーブメントは、以前ほど活発に活動しているようには感じられません。民族や国家の枠を超えて、私たち人間が様々な違いを持ちながらも主イエス・キリストを中心に一つに結びついて世界に平和をもたらすことができるように、希望をもってこの分断と対立が激化しつつある現実の世界を生き抜きたいと願います。