注)讃美歌奏楽はインターネットでHさんが検索してくれました。
⓵ みなさん、おはようございます。今から礼拝を始めます。しばらく黙祷しましょう。
(各自黙祷)
② 招きの言葉 「希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」
(ローマ5:5)
③ 讃 美 歌 11(感謝にみちて)
https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-011.htm
④ 主の祈り (讃美歌93-5A)を祈りましょう(各自祈る)。
⑤ 交 読 文 詩編147編1-7節(讃美歌交読文160頁)
⑥ 聖 書 創世記28章10-19a節(旧約46頁)
⓻ 祈 祷(省略するか、自分で祈る)
⑧ 讃 美 歌 361(この世はみな)
https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-361.htm
- 説 教 「共におられる方」
今日は、新共同訳の表題では「ヤコブの夢」となっていますが、先ほど司会者に読んでいただいた創世記28章10節以下から、私たちへの語りかけを聞きたいと思います。
創世記で語られているのは、1章から11章までに記されています世界と人間の創造の始まりの歴史(始原史)であり、12章以下のアブラハムに始まるイスラエルの族長時代の歴史であります。
秋田稔さんは、創世記1-11章の始原史は「聖書の問題提起」であると言っています(秋田稔『聖書の思想』)。
どういうことかと言いますと、私たち人間は神によって男と女という交わりにおける愛し合う存在として愛そのものである神の似姿に造られたにもかかわらず、最初の人間アダムとイブは蛇の誘惑に負けて神の戒めを破って自らが神のようになろうと罪を犯してしまったと言うのです。
そのためにアダムとイブから生まれた子どもである兄カインは弟アベルを殺す兄弟殺しを犯してしまいます。アダムとイブから人類は世界に広がって行きますが、悪がはびこり、神は人間を創造したことを後悔するようになります。
そして神の前に義しいノアとその家族以外の人間は、すべて洪水によって滅ぼしてしまいます。その時神は二度と人類を滅ぼすことはしないと誓いますが、ノアとその家族から始まった人類の歴史もバベルの塔を築くようになり、神はバベルの塔を崩壊して、人類を世界に散らし、言葉も通じないようにしてしまいます。
これが創世記1章から11章までの物語で、そこには人間は神によって創造されながら、自ら神になろうとする罪を抱えてしまったことが描かれ、この罪の問題を乗り越えて、どうしたら私たちが神の似姿に造られた本来の人間として生きることができるのかという問題提起となっているのです。
世界に散らされた人類から神はアブラハムを「祝福の源にとなるように」(創世記12:2)に選びます。アブラハムから始まるイスラエルの民は神の選びの民であり、神との契約に基づいて歴史を生きて行くことになります。
神との契約は具体的には十戒に示されているように、神のみを愛することと、自分と同じように隣人を愛することです。この神の定めを守っている生きる民として、神はアブラハムを選ぶことによってイスラエルの民を選ばれるのです。
アブラハム、イサク、ヤコブと3代の族長の時代が続くのですが、ヤコブの時代に彼らが住んでいたパレスチナで飢饉に見舞われ、その子ヨセフが宰相となっているエジプトに移住します。何代か後になって、ヨセフの存在を知らなくなったエジプトの王は、エジプトに移住したイスラエルの民が多くなったのを警戒してイスラエルの民を奴隷とし酷使するようになります。
その後エジプトで奴隷状態だったイスラエルの民は、モーセを指導者に与えられてエジプトを脱出し、シナイ山でモーセを介して神と契約を締結して、十戒という法に基づく契約の民としてパレスチナに定住するようになります。
そういうアブラハムに始まるイスラエルの歴史の中で大変重要な役割を担っている人物の一人が族長アブラハムの孫にあたるヤコブです。イサクの長子はエサウですが、ヤコブを溺愛していた母リベカの知恵によってヤコブはエサウから長子の特権を奪い、イサクの後継者になります。ヤコブの子孫がイスラエル12部族で、ヤコブの改名後の名前がイスラエルです。
先ほど司会者に読んでいただいた創世記28章10以下のヤコブの物語は、エサウから長子の特権を奪ったヤコブがエサウの怒りを逃れて、母リベカの兄ラバンの下に逃げて行こうとしているその途中で起こった出来事して描かれています。
このように記されています。「ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向った。とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった」(10,11節)。
続けて、「すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いがそれを上ったり下ったりしていた」(12節)。このイメージからすると、神の住まいと言われている天と地上とが階段によって繋がっています。そしてその階段を通して天使が天と地上を上ったり下ったりしていると言うのです。
そして天使が階段を上って天の入り口から天上に行こうとしていたその入り口の傍らに神さまが立っていてこう言われたというのです。「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫は大地の砂のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る」(13b~14節)。
「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしはあなたに約束したことを果たすめで決して見捨てない」(15節)。
ここにはヤコブに対する神の約束が語られています。神はヤコブと共にいてくださること。ヤコブがどこに行っても、神が守ってくださること。ヤコブへの約束を神は必ず果たし、ヤコブを見捨てないことです。
今日の説教題は「共におられる方」としました。これは、15節の「見よ、わたしはあなたと共にいる」からつけました。これはヤコブへの神の約束で、ヤコブとヤコブの子孫であるイスラエルの民は、アダムの子孫のように自分が神のようになって神に反逆する民ではありません。アブラハムの神、イサクの神は、ヤコブの神でもあり、ヤコブとその子孫である神は神の民であるイスラエルと共にある方なのです。
先ほど引用しました14節には、「地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る」と言われています。すなわち、ヤコブとその子孫によって全ての人が神の祝福に入るというのです。
このことは、アダムとその子孫が神に逆らってバベルの塔を築き、神によって世界に散在させられたという創世記1-11章の問題提起に対して、神はもう一度神と応答関係にある人類をヤコブとその子孫によって再創造しようとされているということではないでしょうか。
聖書は、神が世界に散在したアダムの末裔である人類からアブラハムを選んだのはそのためであると言うのです。ヤコブとその子孫は神によるアブラハムの選びを継承し、神に祝福された者として生きることによって「地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る」と言われているのです。
しかし、旧約聖書が記すアブラハムの神の選びを継承するヤコブとその子孫であるイスラエルの民の歴史は、ヤコブの夢に現れた神の計画を実現することはできませんでした。
その結果、神は最後決定的に神と共にある人類を創造しようとして、預言者イザヤの「見よ、おとめが身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。その名は、『神は我々と共におられる』という意味である」(マタイ1:23)という預言の成就としてナザレのイエスをこの世に送られ、インマヌエルの君イエスによって人類を救済されようとしているのだというのが、新約聖書のメッセージではないでしょうか。
ですから、ヤコブの夢に語られている「神が共におられる」人類の創造は、イエスとイエスを信じる群れである教会が継承していることになります。しかし、残念ながら教会もイエスをキリストに祭り上げてキリスト教教団を形成することによって、イエスから離れて自己目的化する危険性がありますし、その危険性に陥ってしまっていることも多いので、教会が即イエスの群れ、イエスの兄弟姉妹団とは言えなくなっている面はあります。
しかし、イエスを主とする兄弟姉妹団である教会は、「この最も小さな者」、すなわち「この社会で最も小さくされている者の一人にしたのは、すなわち、私にしたのである」(マタイ25:40b)というイエスに倣って生きていくでしょう。人間の尊厳を大切にして誰も排除されない共同体を形成する努力を続けていくでしょう。核時代の戦争には非戦を貫いていくでしょう。そのようにして、神と共にある和解と平和の人類の完成という終末的希望をもって、絶望的な状況の中でも神の招きに応えて、イエスを信じる者は生きていくでしょう。
ヤコブは、夢を見た時には兄エサウから逃れて、母リベカの兄ラバンのところに逃げていくところでした。そこで夢に現れた神から、約束の土地を与えられ、「あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る」(14節)と言われたわけです。逃亡中の人間にそんなことを言われてもても、信じることができるでしょうか。
しかし、創世記の記事によれば、ヤコブは信じたのです。16節以下を読みますと、ヤコブが信じたことが記されています。「ヤコブは眠りから覚めて言った。『まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった』。そして、恐れおののいて言った。『ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ』。ヤコブは次の朝早く起きて、枕していた石を取り、それを記念碑として立て、先端に油注いで、その場所をベテル(神の家)と名付けた」(16-19a節)と言われていることから分かります。
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見ていない事実を確認することです」(ヘブル11:1)と言われていますが、ヤコブの信仰はそのような信仰だったということでしょう。信仰という点では、私たちがイエスを信じるときにも全く同じではないでしょうか。イエスから始まった「インマヌエ(神我らと共に)の現実」がすべての人びとに受け入れられるとは思えないにも拘わらず、敢えてイエスを信じて「インマヌエ(神我らと共に)の現実」を生きていこうとする冒険が、私たちの信仰なのではないでしょうか。
ヤコブのような信仰を持って、私たちも現実を生きていくことがでるよう、主が私たち一人一人を導いて下さいますように!!
祈ります。
神さま、今日も礼拝に集うことができましたことを心から感謝いたします。
神さま、ヤコブの信仰に倣って、イエスさまを通して私たちをあなたが創造された本来の人間に回復しようと招いてくださっている、あなたの招きに私たちが応えて生きることができますように、私たち一人ひとりをお導きください。
現在アダムの末裔による現実が世界を支配しているかのように思われますが、その中でアブラハムに与えられたあなたの祝福を引き継いで生きるイエスの兄弟姉妹団の一員として、私たちが生きていけますようにあなたの命の風を送り続けて下さい。
イエスさまからすれば、国や民族が違っても私たち人間は皆神の子どもたちです。イエスさまには、同じ神の子ども同士が戦争をするなどとは考えられません。どうぞ速やかに戦争が終結しますように。
また戦争への準備など必要のない、相互理解とへと私たちを導いてくださいますように。
今アダムの末裔が支配する世界の中で様々な苦しみの中にある者をその苦しみから解き放ち、おごり高ぶる者を打ち砕いてください。
今日から始まる新しい一週の間、私たちの仲間の一人一人をその場にあってお守りください。
新しい一週の全ての人の歩みを支えて下さい。
この祈りを、イエスさまのお名前を通して、御前にお捧げ致します。
アーメン。
- 讃 美 歌 464(ほめたたえよ)
https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-464.htm
- 献 金
⑫ 頌 栄 28
http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-028.htm
⑬ 祝 祷
主イエス・キリストの恵み、神の慈しみ、聖霊の交わりが、私たち一同の上に、また全ての人の上に豊かにありますように。 アーメン
⑭ 黙 祷(各自)
これで礼拝は終わります。