なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信、№681

船越通信、№681  2025年9月14日(日)  

 

7日(日)は礼拝後役員会がありました。この日の役員会では、昨年本人からの希望で神学生実習の礼拝説教をしてもらいましたUさんから、今年もお願いできないかと連絡があり、も11月23日(日)にお願いすることにしました。

 

Uさんは、昨年の経験から船越教会では説教後の懇談で自分の説教に対する忌憚のない感想が聞けたので、そういう教会は余りないので今年もお願いしたということでした。批判するために説教を聞くのはどうかと思いますが、説教を聞いた後で率直な感想を述べることは、説教者にとっても喜ばしいことではないかと思いますので、11月23日はみなさん、可能な限り礼拝に出席していただければ幸いです。

 

この日の役員会では9月28日(日)礼拝後予定しています「教会全体修養会」について確認しました。昨年12月の船越教会創立70周年記念礼拝の後に開いた、船越教会の今後についての教会全体修養会の続きになります。14日(日)発行の教会だより「船越の丘から36号」と共に、普段礼拝に参加できない方には、今回の全体修養会の案内を入れて郵送しますので、ご意見があれば9月28日前に私の方へお寄せいただければと思います。この日の役員会は午後1時頃終りました。

 

私はこの日、午後5時に娘と寿地区センターに行き、主事と打ち合わせがありましたので、役員会後しばらく牧師館で休み、午後3時41分の追浜行きのバスにより、寿地区センターに向かいました。午後5時少し前にセンターのある金岡ビルの前に着きました。ちょうど娘も来て、金岡ビル3階の寿地区センターに行き、主事との打ち合わせを2時間ほどしました。

 

この日の打ち合わせは、近々主事が退任しますので、10月以降の寿地区センターのパソコンのメールやデータなどの対応を私がすることになっているからです。私はパソコンに疎いので、新しい私用のノートパソコンを持って行き、それでできるように主事から娘に話してもらい、娘の力を借りて10月以降私が対応できるようにするためです。主事との話し合いは午後7時過ぎに終え、娘と横浜に出て食事をして別れて、鶴巻には午後9時半過ぎに帰ってきました。

 

この週は9日(火)午後に寿地区センターに行く予定でしたが、寿地区活動委員会の委員の一人が行ってくれましたので、私は8日(月)から10日(水)の午後3時ごろまで鶴巻で比較的のんびりと過ごせました。

 

10日(水)午後4時半から高座渋谷教会で基地・自衛隊問題小委員会(基地小)がありましたので、午後3時過ぎに鶴巻を出て、高座渋谷教会に行き、委員会に出ました。この日の委員会は、この日は午後5時半ごろ終わりましたので、そのまま高座渋谷から大和に行き、大和のシリウスの会議室で行われる基地・自衛隊問題を扱う県央共闘会議幹事会に出席しました。

 

この県央共闘会議は、神奈川県の県央である厚木・座間の米軍基地に関係する労組や教員組合及び市民グループによって成り立っています。この会議は、厚木基地の騒音に反対する厚木基地爆音訴訟原告団が中心になっていて、厚木基地を考える会のYさんが司会をして下さっています。

 

この日の委員会では、主に10月13日(月・祝)11:00~15:00に大和益東側プロムナードで開催される「ピース・フェスティバルin大和・綾瀬2025」の準備について話し合い、担当役割の確認をしました。ちなみに毎年この大和のピースフェスティバルの当日のプログラムの中に、基地小は名刺広告(武器では平和はつくれません!! 日本キリスト教団神奈川教区基地・自衛隊問題小委員会)を出しています。

 

横須賀のピースフェスティバルは、今年は10月12日(日)11-16時、市役所前公園で行われます。幹事会は午後6時から7時過ぎに終わりましたので、この日は大和から相鉄で海老名に行き、海老名から小田急で鶴巻に帰りました。

 

11日(木)は、午前11時半ごろ鶴巻から国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行きました。この日の夜毎週出している船越教会の次週の週報原稿は、座り込みに行く前に作り、メールで配信しておきました。

 

座り込んだ初めの内は雨が降るようには思えませんでしたが、座り込んで1時間ぐらいしてから空が雲で覆われ、その内雨が降りはじめ、段々強くなってきました。雷も起こり、雨が本降りに強くなってきました。

 

石壁に貼った紙のアッピール類は片づけ、濡れても後で困らない布の横断幕やラミネートされたものは残して、しばらく様子を見ましたが、一向に雨が止む気配が見えず、私たちも雨に濡れてしまいましたので、午後2時半ごろにこの日の座り込みは中止し、この日の参加者は4人でしたが、全員引き上げることにしました。

 

私はこの日午後6時半からなか伝道所で、寿地区センターの主事退任に伴う引継ぎの臨時寿地区活動委員会に、国会前の座り込みから直接行く予定でいました。しかし、体はずぶぬれになってしまいましたし、午後2時半なら、一度鶴巻に戻って、着替えてからでも委員会には間に合うと思い、ずぶ濡れの状態で地下鉄と小田急のドア近くに立ったまま乗り、鶴巻のマンションには午後4時過ぎに着きました。

 

それから着替えをして、少し休み、鶴巻からら海老名に行き、海老名から相鉄で横浜に出て、電車内の放送では各線が停止していたり、遅延しているので、横浜からはJRではなく地下鉄で長者町まで行き、そこから歩いて会場のなか伝に委員会開始の午後6時半少し前に着くことができました。

 

委員会では主事退任に伴う引継ぎについて、主事からその仕事の内容を教えてもらい、課題別で各委員がその仕事を引き継ぐことになりますので、主事との質疑応答を通して、それぞれの引継ぎを確認しました。午後8時半を過ぎて9時近くになりましたので、この日の引継ぎはそこまでにして終え、委員会を解散し、散会しました。

 

それからJR石川町に出て、いつものコースで鶴巻には10時半ごろ帰って来ました。帰ってから午後11時半過ぎまで、この日の委員会のまとめをして、必要なメールを出して、寝ようとして電話を見ましたら、留守電が入っていました。誰から来たのか見ましたら、教会員のIさんでしたが、もう遅かったので連絡は明日にして、翌日は寿の炊き出しに朝早くに出かけますのでそのまま床に着きました。

 

12日(金)は朝7時前に鶴巻を出て、炊き出しの行なわれている寿公園には8時半ごろ着きましたが、既に切込みが始まっていました。私もすぐ切込みに加わりました。切込みを終え、午後1時の配食までの休憩時にIさんに電話し、用件を確認しました。

 

この日は炊き出し後の報告会で、ボランティアの方々に寿地区センターの主事退任とその後のことについて初めて公表しました。これからが大変です。