なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

京大事件

・京大のアメフット元部員3人が若い女性への集団強姦容疑で逮捕されたというニュースが流れた(朝日新聞1月27日朝刊)。
・大分前に『性の植民地~女の性は奪われる~』(キャスリン・バリー著、田中和子訳、1984年、時事通信社)という本を読んで、男として生まれたことが嫌になったことがある。それから大分たってから、幼児の売春と臓器売買を描いた『闇の子供たち』(梁石日著)を読んだ。その時は人間であることが嫌になった。男であることが嫌になったり、人間であることが嫌になったりしていたら、生きていくことはできない。いつもいつもそう思っているわけではないので、私は現に生きているが、そういう現実がこの社会にあるのは事実だろう。
・「そんなことはない」と思ったり、言ったりしただけでは、なくならないこの事実を突きつけられて、わたしたちはどうしたらよいのか?

・聖書では、神が自分のかたちに似せて男と女を造ったと記されている。また、最初土から人間を造り、その人間のあばら骨から女を造ったとも記されている。
・私は結婚式を引き受けたペアーに対して、この聖書の箇所の話を、結婚式の前の準備の時にするようにしている。そして結論としては、『それぞれ神の前には対等同等な自立した人間で、相手を生かし自分も生きる相互の豊かな関係を生きる』ために、神は人間を男と女に造ったのだ、と言うようにしている。
・今日では「男と女」という言い方は適切ではないかもしれない。「男から女・女から男」というように、人間を異質な存在に神は造られた、と言った方がよいかも知れない。私はまだ異性愛者同士の結婚式の司式しかしていないが、異性愛者同士以外のカップルの共同生活や結婚もあるからである。
・自分が嫌なことは他の人にもしない。自分が喜ぶことを他の人にもする。これが人類が考え出した共同生活を豊かに営むための知恵であろう。イエスは「自分を愛するように隣人を愛しなさい」と言った。私たち人間は、どうしたらお互いを生かし合うことができるのか? 
・この問いに対する答えを追究しないで、「人間なんて、動物と同じで所詮オスとメスなんだから」と思考停止を決め込み、京大アメフット元部員の行為を是認してしまったら、男によって傷つき、場合によっては命を奪われる女性はこれからもいなくならないであろう。
・私は、人が命を奪われたり、傷つけられることのない世界を希求している。