なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

ありのままに

・私は二ヶ月に一回鎌倉にある経費の有料老人ホームに聖書の話をしに行っている。十数人のお年寄りに聖書の話を15分から20分ほどして、その後自由な談話の時を持っている。政治の話をしたり、その時々に起きる事件の話をすることもあるが、今回は2006年になって初めての会だったので、新年の抱負を出席者に言ってもらった。もちろんパスするのは自由である。二人の方が「この頃自分は頭が軽くなって、何も考えられない。流れるままに生きているという感じだ」と言われた。それを聞いていて、

・イエスの山上の説教(垂訓)の一節を思い出した。
 『・・・あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうだろう』(マタイ6:34) という言葉である。

・2、3歳くらいまでの幼い子どもを見ていると、いいなー と思うことがある。他の人を気にすることもなく、自分のメシの心配もなく、『ありのままに』生きているように見えるからだ。外から抑えつけられる力が余りなくて、気ままに、自由にふるまうことができれば、思いわずらう必要がない。思いわずらう必要がなければ、ストレスもたまらないだろう。
・今日は学校に、会社に、行きたくねえなー ということもないのだから。小さな幼子は自己中だから、そして、それが許されるからだ。まわりの大人や子どもたちが、その子が生まれてきたことを、よかったと、喜んで受け入れていればとう話だが。でも、こんな子生むんじゃなかった、という父と母だったら、そうはいかない。大人以上にその子どもにはストレスがたまるだろう。

・私が聖書の話をしに行っているホームのお年寄りは、一応生活の心配はないので、思いわずらうことさえなければ、『ありのままに』生きることが出来るのである。誰もがそのように生きることができれば、いいなーと、そのホームに聖書の話をしに行く度に、私は思っている。