黙想と祈りの夕べ通信(385)復刻版を掲載します。2007年2月のものです。
黙想と祈りの夕べ通信(385[-20]2007・2・11発行)復刻版
私は9日(金)の午後に地下鉄のあざみ野から田園都市線に乗り換えて宮前平に行きました。駅前の
ホームに入居しておられる一人のお年寄りをお訪ねするためです。以前にお手紙をいただいて、一度お訪
ねした方ですが、また先日その方から2回目のお手紙をいただきました。用件はどうも私に信仰に導いて
欲しいということのようです。その方は大変厳しく自己中心的だったお連れ合いを亡くし、一人で生活し
ていましたが、年を取って今のホームで生活するようになったそうです。その間身近な人にも裏切られる
体験をしたりして、今は天涯孤独ということです。以前新聞の記事でキリスト教の信仰による支えをもっ
た人のことを知り、自分も信仰をもちたいというのです。補聴器を使わないと、こちらの話も聞き取りに
くいようですが、その日は補聴器が見当たらず、なかなか話がかみ合いませんでした。ご自身の体験と思
いを私に語りたいのでしょう。ご自分の生育暦から始まって、結婚生活のこと、お連れ合いを亡くしてか
らのことなど、聞くばかりで、私の方から話すことがなかなかできませんでした。その方からいただいた
手紙の中には、「6年前に白内障手術の為に入院中、同室の方で90歳、お子様4人女性ばかりの長女の家
族と一緒ですと話されましたが、姿勢の良さ、お話の内容がご立派でクリスチャンと云われましたが、心
の支えとなる信仰がおありのこと深く心に残りました」と記されていました。そろそろ2時間近くなりま
したので、私は、詩編つきの新約聖書を差し上げて、まず聖書を読んでみてくださいと申し上げました。
そして「主の祈り」が書いてあるカードを見せて、これはイエスさまが弟子たちにこのように祈りなさい
と教えられた祈りで、古くから教会でもクリスチャンの一人一人も、この祈りを大切にして祈っているも
のだから、言葉を読んでもかまわないので、祈ってみてくださいと申し上げました。祈りによってキリス
ト者は神さまとお話しているのです。何よりも神さまが私たち一人一人を大切にしてくださっているとい
う信頼に基づいて、私たちは神さまに祈るのですと申し上げました。そして、また来るので、その時にま
たお話をしましょうと言って、その方とお別れしました。
荒井献さんは、『イエスとその時代』の中の「イエスの祈り」という項目だったと思いますが、イエス
の神信仰について触れていました。そこでは確かイエスにとって神は、「存在の支え」であると共に「自
己相対化」を促す存在であるというようなことが書かれていたように思います。
私は、このお年寄りには、自分の魂が支えを持たずに浮遊しているように感じられるのではないかと
思っています。私たち信仰者には、神との間に創造者と被造者という関係があると信じていますので、ど
こかに「神我らと共にいましたもう」という信頼があるのではないでしょうか。ありのままの自分が神に
よって命与えられ、生かされて生きているという実感です。それは神によって支えられて今ある己を自覚
するということでもあるでしょう。支えられて在るということは、魂が浮遊しているというのではなく、
どこかに着地しているということでしょうか。土台にしっかり足をつけて立っている状態と言ってもよい
かも知れません。ですから、存在の支えとしての神を信じて生きるということは、一人の人間にとりまし
て、大変大きなことだと思います。
私はこのお年寄りに何とかこの点だけは伝えたいと思っています。