黙想と祈りの夕べ通信(384)復刻版を掲載します。2007年2月のものです。
今日はこれから船越に行き、横須賀の路上生活者のパトロールに出かけます。
黙想と祈りの夕べ通信(384[-19]2007・2・4発行)復刻版
島泰三の『安田講堂1968-1969』を読んで、いろいろ感じるところがありました。日大闘争から東大闘
争へ繋がって行った全共闘の初期の運動には、今から振り返ってみても、何か大切なものがあるように思
えてなりません。この本を読んで、少しそれが分かったように思いました。当時の青年たちは、たとえば
法学部の東大生ならば、官僚への道が約束されていたに違いないのですが、それを振り切って、安田講堂
に立てこもって機動隊と対峙したわけです。そうすると、逮捕され懲役刑を受けるわけですから、社会的
には働けるところが限られて、将来の生活がなかなか厳しくなっていかざるを得ませんでした。そういう
ことを覚悟して、それでもやらざるを得なかった彼ら・彼女らの思いは、大学の現実に表れている日本社
会が個々の人間が自由に生きていくことを許さない、人間を圧殺していく呪縛そのものだという認識か
ら、その呪縛をどう打ち破れるか、そのことに賭けるしかなかったのでしょう。東大全共闘の議長だった
山本義隆は、数年前に科学史のような本を出しました。長年自分の専門を研究して、その成果を本にした
のでしょう。彼は全共闘運動がなければ学者の道を歩いていったに違いありません。東大全共闘の議長に
なったとき、彼にはその道が断たれました。それを受け入れ、予備校の教師をしながら、黙々と研究を続
けたのでしょう。おそらく自分が闘争に身を置いたことを後悔はしていないと思います。日大全共闘の議
長秋田明大も同じでしょう。当時の青年が自分の存在を賭けて問うたのは、アメリカのベトナム戦争をは
じめ悪化する物理的環境の中で、「人間性とは何か」「人間の歴史とは何か」ではなかったでしょうか。
そういう青年の問いは今も生きているように思えてなりません。
上記の私の発言に続いて、一人の方の発言がありました。今日朗読した詩編30編の7-8節に「平穏な
ときには、申しました/『わたしはとこしえに揺らぐことがない』と。・・・しかし、御顔を隠されると/
わたしはたちまち恐怖に陥りました。」とある。そして9節には「主よ、わたしはあなたを呼びます。/
主に憐れみを乞います。」とある。自分は主を呼び求めているだろうか。自分で閉じこもって、自分ひと
りで解決しようともがいたり、こんなものかと諦めたり、妥協してしまっているのではないか。自分は主
を呼び求めていないと思う。自分がクリスチャンであることは他の人にもオープンにしているが、みんな
を信仰に誘えないのは、自分が本当に神を信じ、神に頼っていないからではないだろうか。じゃあ、どう
すればいいのかはよく分からない。自分としては憲法については若い時から妥協しないできた。就職の時
も現在も9条の大切さをはじめはっきりさせてきた。クリスチャンとしてどう信仰を伝えていくか、自分
の課題である。
また別の方から発言がありました。先日広島で開かれた性差別連絡会で講師から宿題をもらった。戦後
米軍の慰安所が全国に敗戦直後の8月17日に国の通達で出来た。講師である彼女はそのことを比較的最近
知って、吐き気がしたと言われた。参加者に向かって、自分のところに帰って調べてくださいと言われ
た。慰安所はRAA(Recreation and Amusement Association )。浜のメリーさんのこともあるので、そうい
うことがあることは薄々知っていたが、調べてきた。戦後公娼制度はなくなったが、米兵と付き合ってい
る日本の女性の風景は横浜に育って中学生の頃だったので、そのことの痛みが分からず、当たり前のよう
に見ていた私でした。米兵が来たら、女性が犯されるという不安から、娼婦と公募で米兵の相手をする女
性を集めた。後に総理大臣になった池田隼人は1億円だしてもよいから早く作れと言ったという。一部の
女性を犠牲にすることで、他の女性を守ろうとする男性のエゴである。そのために女性たちが病気になっ
て苦しんだり、一人の女性が相手をする米兵が長蛇の列が出来るほどだったという。このような事実が
あったということを忘れないで掘り起こし、この地域で生活する者として傷みとして受け止めていきたい
と思う。
最近、VAWW-NETジャパンの「NHK番組介入裁判」勝訴に一喜し(但し政治的介入がうやむやにされた
ことには疑問)、柳沢伯夫厚労相の「女性は生む機械・装置」発言に一憂させられていた。前回の私の説
教箇所(マルコ12:38-13:2)は私にとって黙想し学んでいるときから涙が止まらない強烈な箇所で
あった。やもめの女性に連なるたくさんの女性たちの深く重たい思いや痛み叫びが覆いかぶさってくるよ
うで圧倒された。この悲しみ、痛みに連なって伝えていくことが神様から私に与えられている課題なの
か、でも私に何ができるのかと打ちのめされた。その後ある童話に関する記事に出会った。山火事にあっ
た動物たちが森を逃げ出していく中で、たった一羽の小鳥が口ばしで水を一滴ずつ燃えている森に運んで
いた。物語はそこで終わり、後は読んだ人の想像。ある人はこう想像した。その一羽はもう一羽に伝え、
その一羽はもう一羽に伝え、一兆羽の小鳥が集まった。