なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

弱いときにこそ強い

・昔私が最初に働いた東京の下町の教会に、一年に一度だけだが、クリスマスの頃に、ひげの長くのびた山伏のような年長の牧師さんが来ていた。その牧師さんは、人生で穴ぼこに落ちたような苦難の時ほど、元気で順境の生活ではなかなか見えない、神の真実が見える、と言われた。

・普段元気な時は、人は、自分の足元を見直すことなど余りしない。前を見て、つまずくこともなく、スイスイと生きている。生きるとは何か? などと頭を抱えて悩むこともない。毎日の生活を、ベルトコンベアーで運ばれていくように、自動的に過ごしているのである。

・ところが、悩み事にぶつかったり、病気になったり、最愛の人を亡くしたり、自然災害に見舞われたりして、ベルトコンベアーが故障した状態になって、スイスイとは生きられなくなることがある。

・多くの宗教は、そういう人間の弱さにつけ込んで宗教的な救済を売り込んでくる。この宗教を信じれば、幸福になれる、とか言って。キリスト教の中にも、この種の機械仕掛けの神のように、人間が困っときに助けてくれる神を吹聴するところもある。だが、聖書の信仰は、むしろ弱さから見える神の世界にわれわれを招くのだ。その神の世界は、元気で順境の時にも、われわれを招いているのだが、上に記したように、ベルトコンベアーに運ばれるようにして日常をスイスイ生きている者には、神の世界が自分を招いているなどとは考えられないので、そのような人には神の世界は隠れたままなのだ。

・人間の弱さから見える神の世界は、その弱さを否定しはしない。むしろ、「わたしは弱いときにこそ強い」という真理に、われわれの目を開かせてくれるのである。

・興味関心のある方は、聖書の中の新約聖書、コリントの信徒への手紙二、12章というところを読んでみてください。