なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(434)

船越通信、№434    2019年11月3日   北村慈郎

・   27日の日曜日は礼拝後、次週の永眠者記念礼拝の準備をしました。会堂前に机を出して、既に召された方々の写真を並べました。その後、Nさんが用意してくださった昼食を残れる人でいただきました。昼食後クリスマス用のキャンドル作りを有志の方で行いました。私は来週の準備を済ませて、まだキャンドル作りをしていましたが、先に失礼して帰らせてもらいました。この日は連れ合いから頼まれたものを買うために、横浜高島屋の食品売り場によりましたが、豊富な食品が揃っていてびっくりしました。今までは京急から相鉄に乗り換える途中にあります横浜駅伊勢丹フードコートか、相鉄から小田急に乗り換える海老名で買い物は済ませていましたので、デパ地下のすごさを改めて実感させられました。この日は鶴巻に比較的早く、午後4時前には着きました。

・   この週は31日(木)午後に千葉の幕張教会で國安敬二牧師の告別式があり、それに出席することだけで、後は特に責任のある集会や委員会もありませんでしたので、24日に抗がん剤投与した連れ合いのサポートに多くの時間を使うことができました。

・   この頃なかなか集中して本を読むことができないでいますが、このところ夜寝る前に布団の中で八木誠一の『<はたらく神>の神学』を、以前に読んでいると思うのですが、パラパラと、読むというより眺めています。八木誠一はこの本の中で伝統的な教義中心のキリスト教信仰の問題性をこのように記しています。「要するに『キリスト者』とは、現代でも、教会が正しいと認める教義を信奉し、典礼サクラメント)に与り、忠実に教会生活に参加する人間のことである。宗教的経験(内的な覚、理解)の有無は重視されない。このような『キリスト教』はそれ(ローマの国教化、筆者加筆)以来、宗教改革によってプロテスタンティズムが成立しても基本的には変わらなかった(宗教改革においては、神と信徒との間にカトリック教会の聖職者が介在することが拒否され、聖書の権威が強調された。これは『聖書原理』といわれる。また、恩寵概念が決定的に変わり、「恩寵のみ」による救いと、それへの信仰が求められた)」(11頁)。八木誠一はこのような伝統的な教義中心のキリスト教信仰では、信じる者の内面の変化は生まれないと言います。「新約聖書の宗教を理解するとは、まずそれが伝える『経験と自覚』をみずからのものとすることだ。そうでなければ信仰は理解と納得を欠いたもの、単に聖書の言葉と教会の教義の無批判的・他律的な受容になってしまう。そのどこが問題かといえば、内的生命に触れないまま教義主義的な『信仰』を担う主体は『単なる自我』であり続ける可能性があることだ。しかるに新約聖書、特にイエスパウロは、人間が『自己』を見失って『単なる自我』となることに最大の問題を見ていたのである。私の考えでは、新約聖書の宗教は根本にある経験と追経験することによって、換言すれば『自己』の活性化によって、理解可能となるのであり、信仰の主体が自己に目覚めた人格(『自己・自我』)となることによって、キリスト教自己批判の可能性も開けてくるのである」(12頁)と。八木誠一は、内的生命に触れない他律的な信仰が主流となってきたキリスト教は必然的に衰退していくと見ています。「他方で信仰は、教義を理解なしに信奉することではなく、旧約聖書的な信仰(『神のはたらき』に接し、その現実化を信じて、これに主体的・自覚的に参与すること)を継承するものとなる」(12頁)と。「人は神のはたらきのうちに生かされている」(本の帯にある文)と言うのです。私はマタイによる福音書の連続説教の中で、イエスを主とすることは、イエスを神に祭り上げることではなく、イエスの業に参与することだということを、何度か語ってきましたが、それは八木誠一が強調する「神のはたらきのうちに生かされている」ことに通じるように思いました。

・   31日(木)は午前10時過ぎに鶴巻のマンションを出て、12時45分から國安敬二牧師の告別式が行われる幕張教会に向かいました。途中簡単にお昼をどこかで食べてからと思って出かけましたが、小田急で新宿に出て、新宿から総武線で幕張に着いたのが12:30過ぎで、とてもお昼を食べる時間はありませんでした。受付を済ませ、会堂の中の椅子に腰かけてしばらくすると、告別式が始まりました。司式をした幕張教会早乙女牧師から、生前國安牧師は、70年前後の問題提起の厳しかった時期のご自身の牧会を思い起こしてではないかと思われますが、「自分は切り捨てることはしなかった」(対話の姿勢を堅持したということではないでしょうか、筆者)とたびたび言われたそうです。実は私も國安牧師からその言葉をお聞きしたことがあります。私にとって最近10年ほどでは船越教会や農村伝道神学校を通して國安牧師との交わりの時を与えられていました。2011年4月に私が紅葉坂教会の牧師を辞めて船越教会の牧師になったときに、船越教会の牧師就任式を國安先生にお願いしました。その関係で用賀の先生のご自宅にも一度お訪ねしたことがありました。その時私は教団から戒規免職処分を受けていましたので、神奈川教区を通した公式の牧師就任式ではなく、私と船越教会とで勝手に司式を國安先生にお願いして、牧師就任式の案内を出して私的に行ったものですが、70名以上の方々が来てくださいました。その中には当時の教区議長もいましたが、就任式は避けて式後の茶話会に出席してくれました。農村伝道神学校では数年前まで入学式と卒業式に國安先生は必ず来ておられました。私も講師をしていた関係で入学式と卒業式に出ていましたので、そこでお会いしました。その他にも國安先生とはいろいろな関係がありました。先生の告別式には船越教会から私のほかにWさんとAさんが出席しました。國安先生とご遺族の上に主の平安をお祈りいたします。