なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(301)

 黙想と祈りの夕べ通信(301)復刻版を掲載します。2005年7月のものです。

 昨日は嵐が各地を襲い、千葉では葬儀中にテントが飛ばされて、それが当たって亡くなった方もあると

いうことです。11月も末というのに、この時期の嵐は、今まであまり聞いたことがありません。これも地

球温暖化が原因なのでしょうか。今日はこれから農伝の説教演習に行きます。


          黙想と祈りの夕べ通信(301[-40]2005・7.3発行)復刻版


 6月26日の日曜日にはY・K教会の25周年記念の礼拝で説教し、午後「教会について」お話をしまし

た。Y・K教会は最初教区の数教会特にY・U教会の援助によって土地を100坪与えられ、10年後に会堂

建築をし、数年前に資金の返済が済んだそうです。そういう開拓伝道によって団地に建てられた教会です

ので、今後Y・K教会として開拓伝道をめざしたいということでした。そういう思いのある教会での私の

話しは、必ずしも適切ではないかも知れませんが、とお断りして、私は教会の交わりの質を問う「共生と

自立の場としての教会」という持論を披瀝させていただきました。質疑応答の中で当紅葉坂教会から以前

新しくできたばかりのY・K教会に転会されたM子さんの発言がありました。Mさんは現在の社会で子ど

ものたちが被害者となって苦しみ、命が失われていく現状を憂い、そういう子どもたちへの働きかけをし

ていく教会に使命があるのではないかという趣旨のことをおっしゃいました。開拓伝道と言っても、これ

からの教会はただ新しい教会を誕生させるということだけではなく、福音によって社会のさまざまな問題

に光を投げかけていくという働きをも、開拓伝道の一環として考えていく必要があるのではないかと、私

自身は思っています。

 上記の私の発言に続いて一人の方の発言がありました。日曜日に日曜学校の中高科の礼拝でお話をし

た。神の国の譬えで、大宴会が催うされたが、招かれた客はそれぞれ理由をつけて来なかった。主人は町

に出て、誰でも来れる人を連れて来なさいと命じた。からだの不自由な人たちが連れて来られて、宴会が

行われたという福音書の譬え話である。神の国とは、能力があって自立できる人たちよりも、弱い者があ

りのままに受入れられるところだ。このことは、自分が昼食作りに一週間一度関わっている知的障がい者

の作業所にも当てはまる。ただウロウロしている人、コツコツと丁寧に作業をする人、作業所にはいろい

ろな人がいる。他の人を批判するのではなく、さまざまな違いを持った人が、その人のありのままで受入

れられている。作業に対する賃金はみな同じように受け取る。私は最近別に認知症のおじが入院している

病院に週2,3回通っている。おじは男女混合の6人部屋に入っている。その中には妄想があり、一人話をし

ている人がいる。別の人が、タクシーを呼んでくださいと言う。おじは寝たきりだが、その声に反応し、

私に「お前タクシーを呼んでやれ」と言う。私は、その人にタクシーが来ましたよと声をかける。みんな

バラバラでいて、否定せずにありのままに看護師さんたちもそれぞれを受入れている。以前お年寄りの病

棟はエネルギーが奪われるように感じたが、今はありのままに受入れられるところとして、まさに神の国

ではないかと思えるようになった。そのことを子どもたちに話した。ありのままに生きていってよいとい

うことを、子どもたちに伝えたかった。現在子どもたちが厳しい現実に置かれていて、犯さなくてもよい

罪を犯してしまうことを思うと、神の国の現実がこの世の中に反映され、ありのままにみんなが受入れら

れる世界が来ることを望んでいる。

 別の人から発言がありました。今お話を伺っていて、自分がポツポツと教会に伺うようになって、教会

は神さまとイエスさまと私たちの出会いであり、人との出会いであると思うようになった。みなさんのお

話を聞き、対話している自分を発見している。一人で聖書を読み、一人で考えているのとは違って、教会

に集い、その交わりの中で対話することに大きな意味を感じている。これからも教会に伺って、このよう

な時間を持ちたい。それぞれのお話に共感するところがあり、対話と祈りを通して、問いつつ委ねる歩み

ができればと願っている。この時を自分にとって大切にしたい。

 また別の方から発言がありました。この前の日曜日96歳で5月に召された父の納骨があった。父はクリ

スチャンでなかったが、自分が長男で他の子どもたちも宗教なしでの葬儀はいやだと言うので、最初は父

が生前天台宗の親派だったので、その系統のお坊さんに来てもらおうかと思ったが、みんなが私の属して

いるキリスト教の牧師さんにしてもらったらと言うので、K・T牧師にお願いして前夜式、葬儀式をして

もらった。普段キリスト教に接することのない兄弟姉妹、甥姪が父の葬儀を通してキリスト教の一端に触

れることができてよかった。納骨は家族だけでした。

 また別の方から発言がありました。天皇、皇后がサイパンに行き、戦没者の慰霊をしたというニュース

をテレビで観た。サイパンの近くの海に沈没した航空母艦に乗っていて帰らぬ人となった兄を想い、何と

も言えない。戦争は絶対にしてはいけないと、改めて思った。辺野古の基地もどうしても止めてもらいた

い。遺族の悲しみはいつまで経っても消えることはない。