なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(403)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(403)復刻版を掲載します。2007年6月のものです。


       黙想と祈りの夕べ通信(403[-38]2007・6・17発行)復刻版


 6月11日(月)から12日(火)にかけて大阪で教団関係の会あり、私も参加しました。この会は現在の

教団においては執行部の行き方に一定の批判的姿勢をもって関わっています。今回は7月に行われます第3

5/20回教団総会期第2回常議員会を前にしての懇談が中心でした。この会で地方教区の実情について、特

に教会・伝道所の統廃合を含めた支え合いについての報告がありました。特に北海教区と東北教区では、

戦後教団主導による開拓伝道によって出来た教会・伝道所が地方の過疎化によって、牧師を招聘できない

ところが多くなり、そのような教会・伝道所を教区がどのように支えられるかということが緊急な課題で

あるというのです。ただそのことのために教区の連帯が不可欠であり、それぞれの教区が大変な努力をし

ていることを知らされました。特にお聞きするところによれば、東北教区はそのために地区の組み換えを

したということです。地区間によって教会規模の格差がないようにということではないかと思います。ど

の地区も小規模教会と中・大規模教会とがバランスよく混ざり合うということでしょう。私はこの話を聞

きながら、小さくされたところを中心にみんなで支え合う地方教区のあり方は、教会本来のあり方ではな

いかと思わされました。

 上記の私の発言に続いて、一人の方の発言がありました。『宗教者九条の和』呼び掛け文の中にマルチ

ン・ニーメラー牧師の言葉が引用されていました。

共産党が弾圧された。私は共産党員ではないので黙っていた。

 社会党が弾圧された。私は社会党員ではないので黙っていた。

 組合や学校が閉鎖された。私は不安だった。しかし黙っていた。

 教会が弾圧された。私は牧師だったから行動に立ち上がった。

 しかし、そのときはもう遅かった」

 これを読んで私は国会前で座り込んで3年、すこし私は過激なのか?と自問していたが、今やるべきこ

とを続ける勇気を貰った。今日国会前の座り込みの場所にドイツ人の青年がやってきて話をした。彼はド

イツで良心的兵役拒否をし、外国で働く為にある国会議員の事務所に来て仕事をしているとのこと。兵役

はないに限るが良心的拒否という言葉がとても大切に思える。どんな場合でも拒否すべきことははっきり

とノーと言える勇気とそれを許容する社会環境が大切と思わされた。

 また別の方の発言がありました。先生の話を聞いていて、教団の教会は単立教会の寄せ集めの感が強

い。カトリック教会や聖公会のような教会は、弱いところに強い牧師を遣わすことができるのではないか

と思う。教団の場合は逆ではないか。それはさておき、この前の日曜日には雨で階下ホールで行われた教

会ピクニックに出させてもらった。私自身は以前出席していた教会では、その教会で育ってきたので、教

会のことはよく分かったが、紅葉坂教会は最近転会したので、体で教会のいろいろなことを理解するとい

うのではなく、頭から入るところがある。そういう意味では、教会ピクニックに出させてもらって、この

教会の一面をしることが出来てよかった。6月24日の礼拝後にはバザーの話し合いがあるが、バザーにも

入れてもらおうと思う。日曜学校は大事だ。聖書に「幼いときに汝の造り主を覚えよ」とある。子供たち

に教会は居場所を提供することも大事だが、子供たちに信仰をもってもらうにはどうしたらよいのかとい

うことも大切ではないか。バザーのことを覚え、教会ピクニックで日曜学校の子供たちとも関わり、この

前の日曜日にはよい経験をさせてもらった。 


               「愛の証し人」   6月17日


 私たちには生きる権利があることを証明するべきだ、と促し続けるような社会の雰囲気や状況の中に生

きている私たちは、どのようにしたら、神に無限に愛されているかということを悟ることが出来るでしょ

うか。

 世間が条件づきの愛を見せつける前で、私たちが無条件に愛されているのを知ることが出来るのは、本

や講演会、テレビ番組、研修会などによってではありません。無条件に愛されているというこの霊的な知

識は、言葉と行いによって神の愛を証する人々によって伝えられます。これらの証し人は、私たちの身近

な人であったり、遠いところに住んでいる人であったりします。あるいは、はるか昔に生きていた人であ

るかもしれません。これらの人々の証しは、神の愛が真実であることを告げ、私たちに神の愛にしたがっ

て行動するように呼びかけています。


                  (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)