なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(253)

           船越通信癸横毅魁 。横娃隠暁3月13日    

・6日(日)礼拝後いつものように礼拝出席者でお茶を飲みながら懇談の時を1時間ほどもち、私は連れ

合いと午後2時から行われます川崎戸手教会の河川敷にある「ヨルダン寮お別れ記念行事」(1)に参加

するために、まだ何人か教会に残っていましたが、一足先に船越教会を後にして川崎戸手教会に向かいま

した。川崎戸手教会の「ヨルダン寮お別れ記念行事」は3回連続3回の日曜日に行われます。私が伺ったの

は最初の会で川崎戸手教会を開拓伝道によって創立した関田寛雄先生が朝の礼拝説教をして、私たちが伺

った午後のお別れ会では関田先生が川崎戸手教会の開拓時代の思い出を語られました。現在川崎戸手教会

が礼拝堂として使っていますヨルダン寮は、元々は在日の方の家で、関田先生が在日の方から譲り受けた

そうです。お別れ会にはその在日の方のお連れ合いがいらしていました。先生が開拓伝道された当時は河

川敷には400人近い在日の方々が生活していたそうです。購入したばかりのヨルダン寮が多摩川の増水に

よって床上浸水して、水が引いた後の清掃が大変だったこと。ヨルダン寮に安い家賃で住まわせていた学

生に河川敷の在日の子供たちの勉強や遊び相手をしてもらったことなど、また、関田先生が寅さんの大

ファンであるのは、説教が難しいと言われて、説教の中で寅さんについて話すようになってから、説教が

わかるようになったと言われたこと。そして川崎戸手教会は伝道所の時代から沢山の神学生(農村伝道

神学校、日本聖書神学校、聖公会神学校から)が神学生時代に川崎戸手教会の現場を経験して牧師にな

っていったことなどを淡々とお話しくださいました。その中で、川崎戸手で開拓伝道する頃、青山学院

の神学部廃止と重なって、先生は青山学院の教師を首になって無職になるのではと思っておられたそう

ですが、当時青山学院が神学部の廃止を文部省に出した時に、文部省の役人の方から神学部に関係して

いた4人の教師の身分保障するように強く言われ、青山学院に残ることができたというお話をされました。

先生は青山学院は最後まで自分を教授にはしなかったが、それで収入は保障されたとおっしゃっていま

した。川崎戸手教会の創立時の苦労の中にある祝福を関田先生のお話を聞いて感じることができました。

最後に川崎戸手教会では関田先生の定番になっているようですが、寅さんの替え歌を関田先生が歌って

くださいました。川崎戸手教会は在日の方が河川敷からすべて退去されるまでは河川敷に残る決断をし

て、現在に至っていますが、その時が来たということで、今回の「ヨルダン寮お別れ記念行事」を行う

ことにしたということです。ところが、なおまだ解決していない問題が残っており、4月からすぐには河

川敷から別の場所に移るというわけではないようです。2016年中にはということでした。川崎戸手教会

の今後の歩みの上に主の導きをお祈りしたいと思います。

・この週は比較的時間がありましたので、2月20日のコイノーニア出版記念対話集会の報告を中心に3

月中に支援会の通信第16号を発行・発送する予定ですので、その準備のために時間を使いました。発言

者の二人と事務局報告は支援会事務局次長のTさんから原稿を頂いていましたので、その他のものを文

章化し、本人に送り、校正してもらいました。これで予定通り通信第16号を発行・発送できると思いま

す。2月20日の集会の協議の時に、一人の方がこのように発言しました。私の問題について、「どうも

今の議長は知らん顔をしている。どうしてかと言うと、知らん顔した方が都合がいいということではな

いか。当たり前だと思います」と。実際そうなのだろうと思いますが、そういう中で今後支援会として

どのような活動ができるかが問われています。私自身としては、戒規免職という理不尽な教団のやり方

に屈服するわけにはいきません。そんな思いを持っていたときに、「さよなら原発1000万人ニュース」

第19号を読んでいましたら、「避難の権利」をめざす全国避難者の会のHさんという方が、日本政府と

福島県行政がとってきた対応の数々への理不尽の連続に、「このままでは屈服するわけにはいかないと

いう強い思いがあります」と言って、このように書いている記事に出会いました。「■自分たちの権

利は自分たちで勝ち取る/私たち原発事故避難者はいったい誰に捨てられようとしているのでしょう

か。国家に捨てられようとしているのでしょか。ふるさとの行政に、はたまた双方がぐるになって切り

捨てようとしているのでしょうか。責任を転嫁し合っている者同士の会話は、非常にわかりにくいもの

があります。その中ではっきりと見えてきた大きなことは、自分たちの権利は自分たちで勝ち取るしか

ないということです。そしてその権利獲得の行動がもたらす結果は私たちだけでなく、未来に続く子ど

もたちに引き継がれ、また、福島に在住しながらも放射線被曝の問題を憂う、同胞への支援となり、そ

して全国各地で、自らの権利を勝ち取るために闘っている人々への勇気へとつながっていくことを強く

感じ、自らの行動に誇りを感じています。これからも全国の心ある有志の方々としっかりとつながりあ

って、前に進んでいきたいと願っています」。私の問題は日本基督教団という一宗教集団の中の小さな

問題かも知れませんが、自分の中ではこの方の気持ちに繋がるものがあるのを感じています。

・Nさんから電話をいただき、沖縄から帰って来ての報告をお聞きしました。Nさんが沖縄にいらしたと

きには、安倍首相は裁判所の和解案を受け入れ、工事中止が報道された後でしたが、シュワブ・ゲート

前での抗議行動はこれからも継続していくということで、これまでとかわらないで行くということでし

た。政府は辺野古新基地建設をやめたわけではありませんので、工事中止は朗報としても、警戒は怠っ

てはならないということでしょう。それにしても2月23日、24日シュワブ・ゲート前で私もお会いした

沖縄平和運動センター議長の山城博治さんが工事中止を聞いて、涙をぬぐっていたその姿が印象的でし

た。その山城博治さんが3月25日(金)18:30開場で横浜関内小ホールで開催の「沖縄と神奈川を結ぶ3・

25講演集会」に講師の一人としていらっしゃいます。時間のある方は是非参加ください。

・ 11日(金)、この日は東日本大震災、東電福島第一原発事故が起きて丸5年が経ち6年目に入

った日です。夜船越教会で聖書研究会がありました。