なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

受難週

今週はキリスト教の暦(教会暦と言う)では受難週である。

新約聖書福音書に物語られているイエスの生涯からすると、最後の一週間ということになる。去る9日の日曜日は、イエスエルサレムにろばの子に乗って入城したとされる日である。ろばの子は軍馬と違い、平和の象徴である。

 旧約聖書のゼカリヤ書9章9-10節にこういう預言が記されている。
「・・・見よ、あなたの王が来る。/彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。/わたしはエフライムから戦車を/エルサレムから軍馬を絶つ。/戦いの弓は絶たれ/諸国の民に平和が告げられる。・・・」

ろばの子に乗ってのイエスエルサレム入城は、このゼカリヤの預言の成就として描かれているのであろう。

戦いではなく平和を求める思いは、時代を越えてまた場所を越えて、特に戦争で苦しんで来た人々の切なる願いであろう。だが、現に今もイラクでは戦争状態が続いているし、沖縄の基地から米兵がイラクに飛び立ち、人道支援とは言え日本の自衛隊イラクに派遣されている。イラクの戦闘状態に日本もコミットしているのである。

戦後沖縄の伊江島で基地建設反対闘争を指導した阿波根昌鴻は、こんな言葉を残している。「負けて勝つとは、勝つまで続けることです」。

平和を象徴するろばの子に乗ってエルサレムに入城したイエスは、その週の金曜日に十字架(磔刑)によって殺された。軍事力によってユダヤを支配していたローマの総督ピラトとピラトに追随する大祭司をはじめユダヤ人の支配層によってである。

なぜイエスは殺されたのか。平和を造り出す者として、平和が実現するまで平和を求め続けたからである。そのイエスの平和を造り出す命は、十字架死によっても途絶えず、よみがえりの力として後の人々に引き継がれ、現在に至っているように思う。

・ 受難週をこのイエスの出来事を静に思い巡らす時にしたいものである。