なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

結婚式

先日事業をしておられる方から、現在本物志向になっているので、教会が誰でも結婚式をするようにして、その代わりに必ず礼拝に出て結婚講座を受けるという条件にしたらどうか。失礼ながら、教会も高齢化が進んで、若者が少ないようだから、若者が教会に出会い触れ合う機会としても有効ではないかというご意見を戴いた。その方は、自分は近くのホテルとも懇意なので、やる気があるなら、ホテルとも渡りをつけますよと、事業家らしい即断即決を私に求められた。私は、いや今はその考えはない、とお断りした。しかし、この方のおっしゃることには一理あると、私は思っている。

一時期ホテルなどでの結婚式にキリスト教式が好まれ、ブライダル宣教団のようなものも出来て、ホテルのチャペルでの結婚式が盛んに行われた。それに関わっていた牧師の中には一儲けした人もいるようである。しかし、今は段々と少なくなって来ているようである。当然ではないかと思われる。形だけのキリスト教式が好まれるわけがないからである。宣伝の力では若者が動かなくなってくれば、ホテルのキリスト教式結婚式が衰退するのも当然であろう。

とは言え、本物志向というが、教会が本物かどうかということが逆に問われているように私には思えた。教会でやる結婚式が本物かどうか。自分で司式をしていながら、自信をもって教会でやる結婚式は本物であると断言できないところがある。そもそも結婚の形態が現在では多様化してきている。

先日も男女の若い牧師が「結婚」(括弧付)した。しかし二人は結婚とは言わない。従って結婚式も行わない。その代わりに二人の共同生活の開始に当たっての礼拝が行われた。私は出席できなかったが、もちろん夫婦別姓である。内側からこういう現実が起き始めている教会が、伝統的な結婚式を無批判に行っていてよいものであろうかと思ったりしている。

だからと言って、結婚式は全くない方がよいとも思えない。過渡期の現在であるから、まじめに神と証人である会衆の前で、誓いをもって始める二人の共同生活のスタートとしての「結婚式」を望む人には、たとえクリスチャンでない人にでも、私はすることにしてる。私のこの姿勢の延長線上に、上記事業家の意見も入るのではないかと密かに私は思っている。