なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

鼻炎と十字架

ここ数日風邪を引き体が重い。私の風邪は鼻炎と喉の痛みが主な症状である。ところが、ここ1年ほど鼻炎に見舞われたことがなかったので、自分も年もとってきたので、鼻炎からも解放されたのかと思っていた矢先である。先日少し寒気がして、これはいかんと思って注意していたが、東京に出かける用があって、雨の中を行って来た。翌日から上記の風邪の症状に見舞われるようになった。

こうなったときは、すぐに医者に行き、薬をもらうことにしている。一年ぶりに医院の扉を開いたことになる。医者から処方のメモをもらって、薬局に行って薬をもらう。その薬局から薬を出してもらうのだが、その薬局からは最初に行ったときにもらったノートがあり、そこに出された薬のメモを貼ることになっている。そのノートを見たら、ちょうど一年前の4月に来ていることがわかった。

私は20代はじめに盲腸から腸閉塞になって、一月の間に2回も手術を受けたことがある。盲腸が手遅れであったようだが、夜大学病院に担ぎ込まれて、すぐ手術を受けた。後で聞いたのだが、手遅れの場合膿が残ることがあるので、手術で切った所を全部閉じずに一部管を入れておき、中の膿がなくなってからその管をとるということであった。しかし、私の場合夜で当直のインターンの医師が手術したということで、切った後を全部閉じたため、腸閉塞を引き起こしてしまったようだ。

今なら医療ミスということになるかも知れないが、当時は何も言えなかった。腸閉塞の手術で輸血も大分したので、肝炎になる危険性が高いと言われ、将来僻地のようなところではなく、対応できる病院のあるところで生活するようにと、退院するとき担当の医者に言われたことを覚えている。

幸いその後上記の風邪を引き、数日間憂鬱な日々を過ごすだけで、大きな病気になることもなく、現在まで健康を与えられている。これからどうなるかは分からないが、体のことはどうなってもその現実を受け止める以外にないと覚悟を決めている。多分気の小さい私はその時には周りの者にヒイヒイ言って困らせるだろうが、許してもらうしかにと思っている。

風邪くらいのことでちょっと憂鬱になるのであるから、教会の暦では今日の金曜日に磔刑(十字架)で殺されたイエスの苦しみは、想像を絶するほどの苦しみであったに違いない。

今日はこのイエスの十字架の苦しみを思い巡らしている。