なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

なぜ神が生まれたか?

5月29日から31日までS女学校高校2年生の自然教室に講師として招かれて御殿場に出かけお話をしてきました。テーマは「出会い~自由への道~」でした。私は4回主題講演を頼まれていましたので、ー分史から、¬扈票圓量簑蠅ら~望ましい出会いを求めて~、聖書(ルカによる福音書10章25-37節~よきサマリア人のたとえ~)から、い泙箸瓠幣紊3回を踏まえて)というように予定していました。

一日目に2回の主題講演があり、2回目は前半「温もりのある社会を~野宿生活者とともに~」というビデオを観てもらいました。その後北村年子著『「ホームレス」襲撃事件~“弱者いじめ”の連鎖を断つ~』(1997、太郎次郎社)に基づいて、一人の野宿者を大阪道頓堀川に落として死なせてしまった青年ゼロの心の闇を中心にお話しました。そして一日目の夜のホームルームの時間に先生方にお願いして私の話に対する感想や質問を高校生に書いてもらいました。そこで高校生から受けた質問に、これからしばらくこの私のブログで答えていきたいと思います。

★高校生からの質問 Part1★
第一回目は神についての質問というか疑問です。「最近私は、神様が天地を創造される以前になぜ神様は生まれたのだろうと、よく考えます。学校のある先生は、神様は人間をはるかに超えているから、人間がその答えを見つけるのは限りなく不可能に近いと仰っていました。確かにそう思います。けれどもすごく気になります」と。

「・・・なぜ神様は生まれたのだろうかと、よく考えます」というあなたは、神様など生まれなかった方がよかったとでも思いたいのでしょうか? 神様が生まれなかったら、この世界はないし、人間もいないかも知れません。そうであればよかったのに、自分もいなくてよかったから、というあなたの切ない思いが、あなたの神についての問いから聞こえてくるようです。

神について考えることもいいですが、それ以上に「人間を照らす光」(ヨハネによる福音書)であるイエスさまについて考えた方が、私はいいように思いますが、いかがでしょうか? 

エスさまは、十字架に無理やりつけられて殺されましたが、死んでしまってそのまま、The End というのでわけではなかったようです。イエスの死後もイエスの死にさえ打ち勝つ命に生かされて、イエスを裏切ったり、逃亡したりした弟子たちをはじめ多くの人々が、現在に至るまでに生かされて生きているのです。不思議とは思いませんか。