なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

津軽海峡冬景色

先日は久しぶりに103歳のお年寄りをホームに訪ねました。この方は現在私が牧師をしている教会の中で一番の年長者です。もうどのくらいになりますか、老健での生活が長い方です。ここ2年ほど前から、私が牧師であることも認識できなくなってきています。でも、比較的健康状態は良く、車椅子の生活ですが、明るく生活しています。
 
 彼女は、私が握手すると、私の手に接吻します。また、耳が遠くなっていますので、耳元に私の顔を近づけて話しますと、私の頬にも接吻します。そういう形で親愛の情を現しているのではないかと思います。私は、ちょっと気恥ずかしい気持ちがしますが、拒みはしません。
 
 さて、先日の訪問では、今までにはなかったことがありました。彼女は、何回も石川さゆり津軽海峡冬景色を歌いました。今まで日本の古い歌は良く歌っていましたが、流行歌はその日が初めてです。私も一緒に口ずさみました。その内、興が乗ってきたのか、いろいろ即興の歌をうたいました。「長崎は今日も雨だった。何故かな?」とか、「生きましょうか、死にましょうか、それはみ心。」「命あらば、言うことなし。死ぬまで、歌い続けます。」などなど・・・・。
 
 以前この方を訪ねると、彼女はよく、「天国で先生と鬼ごっこをしましょう」と言いました。そして、「なかなかお迎えが来てくれない。早くお迎えが来て欲しい」と言っていました。しかし、今はその言葉は全く言いません。
 
 ここ数年、彼女を訪ねる度に感じますのは、彼女は既に生死を越えた領域を生きているのではないか、ということです。生きることも、死ぬことも、どちらもみ心、ということでしょうか。彼女の内面の思いはわかりませんが、私にはそのように思われます。
 
 ホームや病院にお年寄りをお訪ねするのは、ご家族の方以外には余りいないと思います。友人も訪ねるかも知れません。しかし、友人の場合は、そのお年寄りとの意思疎通ができるまでのように思われます。以前やはり私が牧師をしている教会に、10年近く千葉の久留里線上総松山にある高齢者の総合施設にいらっしゃった方がありました。その方を良く訪ねてくる音楽の仲間がいました。その方がその施設に入った時は、認知症が少しずつ進んでいましたが、一緒に讃美歌を歌うことができました。そういう時期が大分続きました。しかし、晩年はその施設にある病院での生活になりました。そうなると、その方を訪ねるのは、身内の方だけになったように思います。私は年に3回ほど一日がかりでしたが、最後まで訪ねていきました。
 
中には身寄りのない方もいらっしゃいます。身内でもない私のような立場の人間が訪ねるのはめずらしいと思いますが、これも牧師の大切な仕事の一つではないかと、私は思っています。言葉でのコミュニケーションは難しくなりますので、讃美歌を歌ったり、聖書を読んだり、一方的に教会のお話をしたりして、一緒の時間を過ごします。最後に一言お祈りして帰ります。牧師としての自分の自己満足かも知れませんが、お年寄りにとってホームや病院は辺境のように思えてならないからです。
 
エスは辺境に足を運ばれた方ではないかと思うのです。