なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

おんりーゆー

昨日は月曜日で牧師の公休日でしたので、お天気もよく、このところ大分つめて仕事に集中してきましたので、のんびりしようと出かけました。行先は南足柄にある温里湯(おんりーゆー)です。小田原から大雄山線で終点の大雄山まで行き、バスに乗り、「おんりーゆう」下車です。近くには足柄ふれあいの村があります。実はこの夏に教会の日曜学校の夏期キャンプを足柄ふれあいの村で行うことになっています。4月に足柄ふれあいの村を下見したときに、おんりーゆーのあることを知りました。その時に、いつか来ようと心に決めていました。私は日帰り温泉愛好家なのです。
 
 牧師という比較的精神的なストレスのある仕事をしている者として、精神のタフさだけではストレス解消はむずかしくあります。いつの間にか温泉が私のストレス解消の場になりました。温泉につかって、頭をからっぽにして、母親の子宮の羊水にいる赤ちゃんの自分をイメージします。そうすると、すごく安定し、気持ちが軽くなります。現実から遠い世界にいて、そこは至福の世界です。ある種の仮想現実の世界に自分を置いているのと同じかも知れません。誰にも邪魔されない、自分だけの世界です。
 
 これは人間存在がもつ垂直関係と水平関係という二重性からしますと、理にかなったストレス解消法ではないかと、私は思っています。キリスト者である私にとって垂直関係は聖書の神・イエスとの関係です。日常の生活では、この二重関係を分離することはできません。むしろ日常の生活では社会的な関係である水平関係に引きずられます。なかなか垂直関係にある自分や他者や世界の在り様に思いをはせることは困難です。ですから、キリスト者は毎週日曜日の礼拝に参加するために教会に行きます。礼拝では、他の参加者と共に神を賛美し、祈り、聖書の言葉を聞き、その聖書の言葉の解き明かし(現代に生きる私たちへの語りかけ)である説教を聞きます。そして改めて神との関係に自分をかけて生きていこうという決意をします。そういう仲間が礼拝共同体です。そのことを通して、垂直関係にある自分を確認するのです。これが私にとっての礼拝です。
 
 ですから、私にとってのストレス解消法である日帰り温泉は、形を変えた私的な礼拝と言えるかも知れません。人間は垂直関係において誰もが独立した人格として自立していると思います。そこでは、人間は皆同等対等な存在です。誰が上で、誰が下という関係はありません。社会的な水平関係では、まだ我々の社会は完全に民主的な関係が確立できていません。ですから、支配・被支配、抑圧・被抑圧という差別的な関係が残存しています。そこで人は苦しみます。そのような水平関係から離れ、垂直関係に身を委ねる思考実験が、私の温泉療法です。
 
 温泉は大体2回か3回入ります。その間休憩室で休みます。ですから、日帰り温泉でも、できるだけ休憩室のあるところにします。2-3時間眠ります。さらに望ましいのは、美味しい食事ができることです。ただ食事はなかなか満足できる所は多くありません。おんりーゆーの昼食はバイキングでしたが、野菜が中心で比較的美味しかったです。お昼少し前に入館し、午後525分のバスで帰路につきました。温泉は定温と少し温めのものが内風呂と露天の両方にありました。月曜日でしたので、お客も少な目で温めの温泉にゆっくりとつかることができました。
 
 私は現在日本基督教団教師委員会から教団の教師免職処分を受けています。よく皆さんから健康には気を付けてくださいと言われます。しかし、今のところ病気にはなっていません。元気に過ごしています。夜も良く眠れます。私にとって、温泉でのストレス解消法が役立っているのかも知れません。ご参考まで。