なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信№10

船越通信№10   2011年6月12日     北村慈郎
 
   65日には礼拝後、私と連れ合いの歓迎会をしていただきました。礼拝には15名が出席しましたが、2名の方が礼拝を終えて帰りましたので、13名で会食をしました。歓迎会と言っても、船越教会とは代務者時代からのつながりがありますので、私が4月からは牧師になり、連れ合いも船越教会に転入したというので、いっしょに食事をしようということで歓迎会の運びになった次第です。持ち寄りの食事会でしたが、美味しいワインを盃に一杯いただき、お腹いっぱい食べて、食後のデザートもありました。特に食べることと自由な懇談以外に特別なセレモニーのようなことが何もなかったので、私(わたし)的には嬉しい歓迎会でした。
   この日は歓迎会後に役員会が行われました。役員会では通常の教務報告の他に今後の船越教会の課題につながる検討項目を書記から提起していただいて、話し合いました。たとえば検討項目の中には、「信仰の再活性化の方法」とか、「時代と社会における船越教会のミッション」という項目も挙げられています。他の方からは、今度の東日本大震災による死者、行方不明者の数に匹敵する自死者が毎年出ている日本の社会の中で、「命の問題」が宣教の課題ではないかという提起もありました。また、競争社会の中で「心傷つく人たちに開かれた教会」をどのように形成するかというか課題も挙げられました。あるいは、「癒しを求めてくる人を受け止められる教会」でもあってほしいという意見もありました。この日の話し合いを踏まえて、来月までに私が検討課題の項目を整理して、その次の役員会から、役員会の前半をそのために時間をとり、役員以外の方の参加も促し、話し合いを進めていくことになりました。無理せずゆっくり話し合っていきたいと思います。この会が礼拝に対するある種の応答のような機能を果たし、説教を一方的に聞くだけでなく、普段信仰者として持っておられるいろいろな問いや疑問、それぞれの思いが分かち合われて、そこから新しいパッション(熱情)が出てくることを期待したいと思っています。
   66日(月)は国会前で長年続けられています辺野古基地建設反対の座り込みに参加しました。現在この座り込みは月曜日と木曜日の午後1時から4時まで行われています。80歳前後の二人の女性が中心になっていますが、私の連れ合いやTさんも参加しています。
   5日の礼拝説教ではマルコ福音書1:29-39を扱いました。この個所の前半はシモンのしゅうとめの熱病の癒しの記事です。後半には「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである」というイエスの言葉があります。私はこの個所から、病気治癒をイエス(の神の国の)宣教との関わりで、お話しました。実は私自身には、中高時代に母が筋委縮症という難病におかされで長い間寝たきりの生活を続けて亡くなったという体験があります。医学的には治らない病気もあるということです。ですから、イエスの治癒行為も、あるいは実際にイエスによって病気が癒されたということはあったかも知れませんが、直接的な癒しが問題というよりも、病者とイエス(神)との関係ではないかと思うのです。私が1995年に名古屋の教会から紅葉坂教会に転任してきた直後、紅葉坂教会での私の説教テープを送って欲しいというので送った名古屋の方が、こういう手紙をくれました。「先生の祈りの中に、いわれない苦しみを味わっている人に云々とおっしゃっていましたが、この世の中は何と理不尽な事が次々に起こってくるのでしょう。彼女が身障者として生まれたのも、また結婚相手を与えられて早く亡くなってしまって、一人息子がまた身体的苦しみをもって(形成不全で身体中の骨が少し無理すると折れてしまう体質)、その上彼女が胃癌なんて。ゴールデンウイークが明けましたら手術です。彼女のことをどうやって祈ればよいのでしょう。祈っていると、悲しみと怒りがこみ上げて参ります。…祈りが分からなくなって参ります。でも祈らないではいられません」と。こういう現実の中で、イエス神の国の宣教と病者の癒しを信じるということはどういうことなのでしょうか。私は類としての人間の中にある病者の痛みを自分の痛みと感じる感性を大切に、上記の人の祈りをもって、「われわれがイエスに達しようとする必死の思いと希望、そして、イエスがわれわれに達しようとするときの力とあわれみの混じり合ったもの」に希望を託したいと思っています。