なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

他者批判=自己批判

       私は牧師ですが、実は牧師という人間が余り好きではありません。例えば学校の教師の場合も、ひとりの先輩としての人間性への共感がなくて、ただ教師という衣を着て子どもたちの前に立っている先生は、子どもたちも好きになれないのではないでしょうか。
       私は牧師ですが、自分が牧師である前に、ひとりの人間であるということを忘れないようにしてきました。牧師になって42年が過ぎましたが、その気持ちはずっと変わっていません。
       でも教会に来ている人の中には、対等同等なひとりの人間よりも、衣を着た牧師という特別な人間を求める人たちもいます。ガウンを着たり、大げさな所作をしたりする牧師がいいという人もいます。それは人の好き好きですのでいいとしても、私にそれを求められても困ります。私はただのひとりの人間として牧師でありたいと思っているからです。
       そういう私のような牧師が好きだという人もいますし、余り好きではないという人もいるようです。それは人の好き好きだからやもう得ません。
       ただこの頃強く感じているのは、形にこだわる人は、形へのこだわりによって、自分の内面を問われることを防御しているのではないかと思うようになりました。私も自分の内面を問われることは避けたい人間です。しかし、自分が変わらないで、他者との関係をより深くより真実なものにしていくことはできません。
       ですから、「他者批判=自己批判」ということを大切にしていきたいと思っています。お互いに変わり合って、より深くより真実な関係を築いていきたいと願っているからです。