なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

Sさんからの応答と「黙想と祈りの夕べ通信(85、復刻版)」

 日本基督教団なか伝道所に招かれて話しました「私の『戒規免職』問題とは何か?」(2月15~16日の私のブログに掲載)を読んでくださったSさんからいただいた応答の文章を2回に分けて掲載します。

   その1、北村慈郎 様

 私は七十八歳の年金生活者です。十年前に偶然にも故S牧師と出会い聖書を渡されました。還暦を過ぎるまで宗教とは無関係でしてキリスト教に関しましても論外でしたが、思うことがありまして読んでみました。当初は意味が解っても底辺にある真理というものが理解できませんでしたが、何度も繰返して読んでみて少しは解るようになったのです。今年になって図書館に通いラテン語の聖書を読んでいますが、翻訳された言葉の意味もありますが、聖書がひとびとに何を教えているかが理解できるようになりました。

 二年前に紅葉坂教会で貴殿からの話を拝聴したことがあります。『なか便り』の記事から「『戒規免職』とは何か?」を読みましたが聖職に携わる方々として次元の低いお粗末な話でして、そのような理由で牧師を免職された北村様には深く御同情する次第です。

 キリスト教の精神とはどういうものなんでしょうか。聖書には旧約聖書新約聖書に別れていますが、それらは連続性と非連続性があるようです。「ヘブライ人への手紙」の冒頭に〈神は、かって預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖たちに語られたが、この終わりの時代には、御子によって語られました〉とあります〈神が、語った〉ことにおいては、「旧約」も「新約」も変わりはないのですが、語りかけの時代に相違があります。「旧約」は〈かって〉と呼ばれる時代ですが、「新約」では〈この日々の終り〉という時代です。それに、語りかけた相手の相違もありまして、「旧約」は、〈先祖たち〉への語りかけなのですが、「新約」は〈我々へ〉の語りかけなのです。それと、神の言葉の仲介者の相違です。「旧約」は、〈預言者〉を通じて語りかけますが、「新約」では〈御子=キリスト〉を通じて語りかけるのです。聖書にとって、歴史は神の思いが現される場なのです。このことから考えますと、〈この日の終わり〉という表現は、神の啓示が御子によって完全に現され、啓示は終わった、との意味なのでしょう。

 いずれにしても、旧約聖書新約聖書には連続性と非連続性とがあるのでして、連続性を作り出すのは、同じ神が語ったことなのです。しかし、非連続性を作り出したのは、現在の日々の終りである御子なのです。「旧約聖書」と「新約聖書」とを切離すことはできないのです。「旧約聖書」はおのずから「新約聖書」を求めており、「新約」は「旧約」なしにはありえないのです。

 教会規則8条の「聖餐には洗礼を受けた信徒があずかる」という問題です。「聖餐式」に就きましては、旧約聖書の「創世記」31章の、伯父ラバンの二人の娘を妻としたヤコブはが、伯父のもとから逃げ出す話から始まっています。イエスが〈取って食べなさい〉と言われた最後の晩餐、人は毎日何度か食事をとります。あわただしく食べることもありますが、気のおけない仲間と会話を楽しみながら食べることもあります。食事は毎日繰返され、しかも実にさまざまな形態をとりますから、食事の意味をまとめることは容易なことではなかったのでしょう。食事の持つもうひとつの機能は、神を呼ぶにせよ、仏を呼ぶにせよ、あるいは先祖を呼びにせよ、自分たちを支える超越者との交わりの深化があるのです。エジプトから民を脱出させた神は、シナイ山で民と契約を結んでいますが、そのとき食事が行われています。

 このように、食事には仲間同士の結束、あるいは先祖や神仏との交わりを深める働きがあるのですが、食事がその機能を発揮できないこともあるようです。そのことは「エレミや書」や「ホセア書」にも見られます。詩編136編に〈すべての肉なるものに糧を与える方に感謝せよ。慈しみはとこしえに〉とありますが、神の仕事は創造の歴史だけではなく、食事の供給も含まれているのでしょうか。

 「新約聖書」では、イエスは民に二度に渡ってパンを与えていますが、一度には五千人、二度に四千人に与えています。前者には四つの福音書すべてが伝えていますが、後者は「マタイ福音書」と「マルコ福音書」だけが伝えているのです。初代教会では、魚がイエスの象徴として使われたようですが、教会で行なわれた祭儀では、魚は何の役割も果たしてはいないのです。このことから考えますと、マタイにとって五千人にパンを与えるという食事は祭儀的な食事であり、最後の晩餐に通じる食事でした。

 最後の晩餐は、イエスによる救いの業と結び合わされているのでしょう。イエスが与えるパンを食べるとき、人はイエスとの交わりを深め、イエスが運んだ救いにあずかることができるのです。

 「エレミヤ」によれば、約束の地に入った民は、荒れ野で口にしたことがない美味に出会い、それを手放したくないために、豊穣神に願ったのです。しかし、豊穣神は人間の願望の神格化にすぎないのですから、神ならぬ神、影のような実態を欠いたものにすぎません。その後を歩けば、空しくなるのです。

マタイがパンの奇蹟に見たのは、この「エレミヤ」の忠告でした。イエスは群集に荒れ野でパンを与えました。それを食べてイエスとの交わりに入った者は、命の支え手を知ったのですからその交わりにとどまるべきなのです。群集もいずれ町に戻れば、荒れ野とは違う便利な生活が再開されるのです。便利さの中で荒れ野のことを忘れてしまうと、落とし穴にはまることにあるのです。毎日の食事が荒れ野のことを思い起こすこととなれば、人は落とし穴を避けることができるのです。教会で行われる『聖餐式』は、そのような意図があったのでしょう。


        黙想と祈りの夕べ (通信 85[-33] 2001・5・13発行)

 最近二人の高齢者の方を訪問してきました。一人はO姉です。姉妹は既に夫Kさんが召されて、子どもがいませんので、数年前から施設での生活になっています。一人で千葉の木更津から一時間ほど入った久留里線の上総松丘にあります老健施設にいましたが、今年1月4日から同じ施設内にあります病院に入院しています。川崎にいる甥の方が姉妹の世話をしておられます。姉妹を訪ねるのは、その甥の方と岡さんが指導しておられた合唱のメンバ-の方と私位です。私も年に数回に過ぎません。姉妹自身は生来の楽観的な方ですし、老いの進行で、余り思い煩うことも少ないように見受けられますが、陸の孤島のような場所に施設がありますので、今まで築かれたさまざまな人との交流から断たれているようで、淋しくあります。一方この5月3日に満100歳になられたK姉は、綱島の近くの介護ホ-ムにいらっしゃいます。耳はほとんど聴力が失われていますが、ボ-ドによる筆談で十分意志疎通が可能です。4日に私も伺いましたが、姉妹が教師をしていた時の教え子(と言ってもその方々も80歳過ぎですが)お二人がいらしていていました。前日の3日は家族の方々と外で会食をされたそうですし、100歳をお祝いして他にも頻繁に訪問者があるということです。K姉の場合は、家族の方々も近くに住んでいますし、今までの人との交流も、そう頻繁ではなくても続いています。お二人をお訪ねして、境遇の違いと言いましょうか、同じお年を召して不自由な心身を抱えての生活でも、場所や人との繋がりという点で、大分差異があると思いました。それぞれを覚えて、お祈りください。

 一人の兄弟がゴ-ルデンウイ-クの間帰省して、両親のいる弘前に行き、帰りに兄の家族のいる福島に寄り、今帰ってきたと話された。自分が出た母校東奥義塾を訪ね、当時学年主任だった先生が校長の塾長になっており、また男子校だったのが数年前から共学になっていて、懐かしかった。帰りがけにこの夕べの集いに出させてもらったと。

 また別の姉妹が、今日昨秋名古屋に見舞った姉妹が亡くなったという知らせを受けた。つい先日は、東京の脳腫瘍の手術を受けた別の姉妹が昏睡状態になったという知らせを受けた。名古屋の姉妹とは、家族ぐるみでお付き合いしていて、尊敬している方である。3年程前にガンが見つかり、最初から最後はホスピスでという希望だったが、その通りになった。去年横浜にも来てくれて、当教会の礼拝にも出席した。二人の姉妹のことを思い、今まで交わりを与えられた方々と別れをする年代に自分が達したことを感じている。今までそういう先輩の背を見ながら生きてきたと思う。今度は自分の背が後から来る者にどう見られているか、自分の生き方が次の世代の人にどう映っているかが問われる時期に来たように思う。尊敬してきた先輩に見習って、次の世代に引き継ぐものを残せたらと願っている。それにしてもここに静かに座っていると、淋しく思われる。もう一人の姉妹は、今年の3月に事情があって申し込んでいた東南アジアへの慰霊の船旅に自分は行かなかったが、行った方から沢山の写真をいただいた。感謝で一杯である。その写真の中にサイパンの海の写真がある。サイパンの海は沖縄の海とも違う。その海の底に航空母艦が沈んでいて、自分の兄がいると思うと、感無量である。この黙想と祈りの夕べでの静かな時を感謝する。ここで静かに祈っていると、穏やかな気持ちになり、祈ることの出来る幸いを思うと。