なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(45)

            船越通信癸苅機  。横娃隠嫁2月19日    

・12日の日曜日は出席者が8名で礼拝後何もありませんでしたので、残れる人でお茶を飲んで懇談の時を持ちました。その日の出席者の中には私の他に3名、前日蒔田教会で行われました横浜地区の2・11集会に出席した人がいて、前回の通信にも私が少し報告を載せておきましたが、講師の講演についての感想が語られました。一人の方は、講師が信仰には「次の二つが今もある」と言われ、信仰を心の問題とする考え方と、心の問題は当然含みますが、信仰を生き方の問題とする考え方であると言われたことが心に響いたようです。信仰とはその人の生き方であるということを強調していました。その日の説教は、ちょうど「自分の十字架を負って、私に従いなさい」というイエスの招きの言葉が記されていますマルコ福音書8章34節以下でした。私は説教の中でも、若い時に「自分の十字架は何か」と問いかけられたことを契機にして、信仰を自分の生き方の方向性として捉えるようになったという主旨の話をしていました。そのような信仰の話だけではなく、日常の様々な事柄も話の話題になりました。午後1時には皆さん帰られ、私はごみの始末や戸締りをして2時に船越教会を出ました。それでも鶴巻に着いたのは4時過ぎていました。日曜日夕方早目に鶴巻に帰ることができますと、何時もなら弘法の里湯という日帰り温泉に行って体をほぐしてくるところですが、その日は風邪気味でしたので家でのんびりと過ごしました。

・14日(火)は寒い日で午後は冷たい雨が降り出していましたが、14:00~16:00に秦野市本町公民館というところで、第1回部落問題を考えるかながわ県民講演会が、部落解放同盟神奈川県連合会主催で行われました。神奈川教区の常置委員会があったとき、横浜二ツ橋教会のTさんから、この集会の案内をいただいていました。特にこの集会の講演者が部落解放同盟中央執行委員長の組坂繁之さんで、講演テーマが「私の歩んだ道」~部落解放運動との出会いとたたかい~なので、そう簡単に聞くことができる講演ではないから、自分はいけないが、是非出席してくださいと勧められていたこともあって、私は出席しました。神奈川教区からは私の他に部落差別問題小委員会委員のM牧師とAさんが出席していました。ユーモアも交えて約2時間、ご自分の歩まれて来られた道をその闘いを含めて静かにお話しくださいました。

・2月14日には、弁護士からメールが入り、私の裁判の第一回期日と法廷(98人傍聴可)の打診が裁判所から来たという連絡を受けました。4人の弁護士はその日都合がよいので、私の方はどうかという問い合わせもありましたので、私もその日で結構ですと弁護士に連絡しました。第一回の期日の問い合わせが裁判所からあったとうことは、私の裁判が本格的に動きだしたということです。やっとこれで始まったかという気持ちと、いよいよこれからだという気持ちが私の中で交差しました。私はこの裁判に臨む私の思いを以前私のブログに書きました。それをこの船越通信に再録します。

・私はこの裁判を通して、私の戒規免職処分が手続き上一宗教団体内における懲戒権の乱用に当たることを明らかにしていくとともに、同時に一宗教団体における人格権や名誉権の侵害に焦点を当てて闘っていきたいと思っています。日本社会には宗教団体だけでなく、労働組合、様々な団体があり、また政治的なセクトや党派もあります。そのような集団の中で行われていることが、憲法で保障されている基本的人権の尊重に立っているかどうかという検証の展開にこの私の裁判が繋がることを願い、今回の私の日本基督教団における戒規免職処分のように、公平で真摯な議論を全くすることなく、多数の横暴をもって教団から私を排除するようなことがあってはならないことを教団内外に訴えていきたいと思っています。
 どうぞ日本基督教団内の方々はもちろん、一般社会の方々にもこの私の裁判に関心を持っていただけるように皆さんの友人、知人に働きかけて下さいますように、よろしくお願いいたします。

・裁判の第一回期日がはっきりと決まりましたら、改めてお知らせいたします。時間のある方は傍聴にいらしていただければ幸いです。

・17日(金)は寿地区活動委員会へ、18日(土)は寿地区センター講演会が13:30より紅葉坂教会で行われ出席しました。今回は仙台夜まわりグループの今井誠二さんのお話しを伺いました。講演会のチラシにある今井さんからのメッセージの一部を紹介します。〈2001年1月に始まった路上生活者の安否を確認する週1回の「夜まわり」は、焼け石に水をかけるような、あるいは、大きな池に素手で岩を投げ込むような行為でした。しかしそれは野宿を余儀なくされた人々との出会いの中で、様々な活動へと展開して行き、11年目に起こった東日本大震災では、嬉しい連鎖を生み出すものにつながっていきました。/2011年3月11日の東北大震災にあたって、仙台夜まわりグループは、広義のホームレスになった仙台市民に対して2週間にわたって炊き出しを行いました。市民に対する炊き出しで全面的に協力してくれたのは、他ならぬ、普段からホームレスと呼ばれ敬遠されている人々でした。/復興作業が始まって以来、多くの路上生活者は再び数合わせや労働力不足の穴を埋めるために借り出され、いつ用済みになって路上に放り出されるか分からない状態に置かれています。・・・・〉今井さんはバプテスト教会の牧師ですが、大学教師でもあります。路上生活者の夜まわりをするようになって、路上生活者への働きを受け入れられない教会を出て数人で集会をはじめたところ、その教会から30人ほど自分たち数人ではじまた集会に加わってきたので、単立の教会をつくって現在にいたっていると言われました。路上生活者を支援する働きと教会の働きが食い違ってしまい、前者の働きに参加する者が教会にいられなくなるという教会って、どうなのでしょうか。