なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

マルコ福音書による説教(46)

   マルコ福音書による説教(46)、マルコによる福音書11章12-26節
            
・イエスは、言葉によって語り、教えられただけではなく、態度振舞い(行為)によっても、神の支配としての神の国の到来(の福音)を人々に示されました。今日のマルコによる福音書の箇所でも、いちじくの木を叱って枯らしたり、エルサレム神殿の両替人の台やハトを売る者の腰掛けをくつがえすことによって、イエスは、何かを人々に語り示そうとしておられるのです。

・しばしば、私たちの中でも、言葉にまさって象徴的なその人の態度や行動が、何かを伝えるということがあります。私は名古屋の御器所教会にいた時に、信徒説教をなさったある方が、戦争の悲惨さを、戦禍の中に茫然とたたずむ幼い子供の目に光る涙によって語られたことを今でも忘れることが出来ません。幼い子供の目に光る涙は、戦争の悲惨さを訴えるどんな言葉にも優るのです。そのように百の言葉より、一つの態度振舞いの中に人の心を打つ力があるということは事実だと思います。人の振舞いとしての沈黙や涙という受け身の態度だけではなく、叫びや喜び踊るという積極的、能動的態度によって、人はその心にあるものを表します。特に激しい怒りは、言葉によって表すことは難しくありますから、自ずから激しい態度によることが多いのです。

・イエスの場合、福音書を読んでみて、その怒りを今日の箇所のように激しい態度で示しているのは、他にはありません。私たちは、優しいイエスを求めるかもしれませんが、怒るイエスにも耳を傾けなければなりません。なぜイエスは、いちじくの木を枯らしたり、神殿における末端商人である「両替人の台やハトを売る者の腰掛けをくつがえした」のでしょうか。

・「いちじく」はイスラエルの民を象徴的に表していたと言われます。そのいちじくの木が枯れるとうことは、当時の正統的なユダヤ人は、いちいじくの木が枯れるように神に裁かれて、未来を受け継ぐことができないこということなのでしょう。「両替人の台やハトを売る人の腰掛けをくつがえした」のは、エルサレム神殿に対する根底からの批判を意味する象徴行為でありました。マルコによる福音書14章58節に、「わたしは人間の手で造ったこの神殿を打ち倒し、三日あれば、手で造らない別の神殿を建ててみせる」と、イエスが言ったと言われています。

・このようにイエスエルサレム神殿を批判することは、安息日や清浄の律法を批判するのと同じように、否それ以上に、当時のユダヤ人社会にあっては、体制そのものを批判する行為でありました。と申しますのは、ユダヤ教という宗教は、一方では律法学者、パリサイ人を指導者とした律法の遵守において、他方ではエルサレム神殿を中心とする祭儀において成り立っていました。そのユダヤ教が、そのままそっくり、当時のユダヤ人社会の政治的、経済的体制を支える働きをしていたのです。ロ-マの支配体制を、ユダヤ人の最高法院である議会が補完していました。その議会の構成メンバ-の中には、大祭司や律法学者や長老たちが入っていました。福音書によりますと、イエスを殺そうと相談し、民衆を扇動したのも彼らでした。

・荒井献さんは、エルサレム神殿に対するイエスの行為を、「対抗-象徴行動」と規定して、次のように述べています。「いずれにしろ、神殿を攻撃したイエスの行動は、おそらく〈ハプニング〉として起こり、しかもそれは彼の日頃の振舞が体制の象徴的存在に直面したとき、とらざるを得なくした、いわば『対抗-象徴行動』であったのではなかろうか? ヨハネ福音書2章14、15節におけるごとく、イエスが鞭をもって神殿の境内から商売人を追い払ったとき、それが民衆の蜂起に繋がる術(すべ)のないことを、イエス自身が十分に承知していたのではなかったであろうか。こうしてイエスは自らを敢えて誤解に晒す一歩を踏み出すのである」と。

・私は、そもそもイエスが「民衆の蜂起」ということを考えていたとは思えませんが、このエルサレム神殿におけるイエスの行為には、この世の権力を批判する強い意志が現われているのではないかと思います。この世の権力から完全に自由なイエスだからこそ、この行為が出てきていると思われてなりません。イエスの神殿攻撃に対して、神殿を支えている勢力の人々にとっては、涜神的行為として受けとられました。それが、イエスを訴えた理由の一つです。「神を恐れぬ者の行為」として。

・神殿勢力の側にある人々はエルサレム神殿こそ、地上における神の家と信じていました。大祭司をはじめこの神殿に仕える祭司階級に属する人々は、神の代理人のような気持ちで働いていたのでしょう。巡礼者としての民衆も、神殿に詣でて、賽銭をささげ、犠牲の動物を供えることによって、神からの権威によって自分たちが神の民の一員であるという自己確認をしていたのでしょう。そのような神殿の存在は、独立した政治的国家をもたないユダヤ人が、それにもかかわらず民族的な同一性を再確認する場所でした。神殿は、ユダヤ人社会を支える権威としての象徴的存在でした。神殿は、祈りの場所として神のみ心を尋ね求めるべきところでしたが、神の権威を盾にしてユダヤ人の共同社会を支配する存在となっていたのです。財政的にも大きな力をもっていました。神殿税や犠牲の供え物による収入は莫大なものであったと言われています。神の名によって、現実のユダヤ人社会という共同体を権威づける働きをエルサレム神殿が担っていたわけです。

・けれども、律法を違反して罪人と烙印を押された者、病人や障害をもった人々は、神殿に入ることは出来ませんでした。イエスが主にガリラヤでその友として交わった「取税人や罪人たち」にとっては、エルサレム神殿の存在は喜ばしいものではありませんでした。神の権威を代表するような権威は、地上に建てられた神殿にはないということが、イエスの行為において示されているのではないかと思います。神を除いて、この地上には人間を支配する権威は何もないということであります。

・別の見方からしますと、私たちの中に、何かにすがろうとする権威を求める傾向が強くあって、そういう私たち自身の存在そのものが、権威を作り出してしまうとも考えられます。巡礼者がいなければ、エルサレム神殿はなかったからです。マタイによる福音書10章28節に、イエスの次のような言葉があります。「体は殺しても、魂を殺すことの出来ない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」。真に畏れるべき方を畏れる者は、この世の「恐れ」から解放されている、とイエスは言っておられるのです。私たちは、そのような恐れから自由な人間として、具体的には、この言葉を語っているイエスを思い浮べることが出来るでしょう。

・イエスもまた、当時のユダヤ人のひとりとして、ユダヤ社会の中に組み込まれることによって、ロ-マの支配体制を是認し、ユダヤ神殿体制とそのイデオロギ-を受け入れて、当時の政治的・宗教的・文化的社会体制を補完する可能性をもった存在であったに違いありません。見えない神の前に自分が生きていることを問いもせず、自分を守るためにこの世の権力に寄り添って自己保身する人間です。そして、おそらく当時の多くのユダヤ人一般のように、エルサレム神殿に詣で、きまりを守っていさえすれば、自分は正常な人間であると自己正当化している人間です。エルサレム神殿は、そのような正統的なユダヤ人に神による保証を与える働きを実際に果たしていたのでしょう。人々を体制の中に組み込み、神の名がユダヤ人社会を正当化するものとして人間の所有物であるかの如く用いられていたわけです。イエスの怒りはそこに向けられたのでしょう。

・そのようなイエスの言行が、神を冒涜するものとして受け取られたということは、よくよく注意して考えなければならない問題を、私たちに投げ掛けています。イエスが、取税人や病人や遊女や罪人を招き、彼らを疎外する人間に対しては、怒りをもって裁く者として立ちたもうということが、福音書から知らされています。そのようなイエスの姿において、私たちは現実社会の中で人と人とが愛と真実による関係によって生きる真の人を見るのです。そしてその真の人であるイエスを、私たちは十字架につけてしまうような存在であるということも同時に思わざるを得ません。

・神が人間に関わりたもうときには、そのようなイエスにおいてご自身を現わすのでしょう。22節以下に「神を信じなさい」ということが、イエスによって言われたとあります。そこでは祈ることと赦すことが具体的に挙げられています。この部分は、元来は、いちじくの木の呪いに続くものでしょうが、マルコは宮清めの物語を中間に入れることによって、「すべての国の人の祈りの家」としての神殿と関わらせて、祈りを問題にしているのではないかと思われます。神への祈りと兄弟を赦すこととが結び付けられて、その全体が神への信仰として捉えられていると考えられます。せっかく植えられていたいちじくの木(イスラエルの象徴)が実を結ばないために枯らされてしまうように、私たちはその否定的な現実のただ中から神へ祈り、兄弟を赦す者として立つことが神への信仰であると、イエスは言うのです。

・神は無から有を創造する方であるが故に、信仰は山を動かす程の力を持つと。それは、人間と人間とを和解させる力だと。その可能性に自分を賭けて生きていきたいと思います。