なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(292)復刻版

 今日も、「黙想と祈りの夕べ通信(292)」復刻版を掲載します。2005年5月のものです。

      黙想と祈りの夕べ通信(292[-31]2005・5.1発行)復刻版

 尼崎の電車の事故はある意味で現在の日本の社会に内在する問題を露わにした出来事ではないでしょう

か。過密な電車の運行をはじめ、スタッフの養成においても、多分30年前ほどには時間をかけて運転手と

しての適正を含めて慎重な教育を施すことができる余裕が、現在では難しくなっているのではないでしょ

うか。その根底には、現在の日本の社会は人間の命を何よりも大切に考える社会ではなく、業績を優先す

る社会になっているという問題があるように思います。阪神淡路大震災をはじめ最近も頻発している地震

や台風による自然による災害は、人類の長い歴史の中で繰り返されてきたものと言えましょう。しかし、

阪神淡路大震災の年に起こったオーム真理教による地下鉄サリン事件は、その事件によって亡くなったり

怪我をした人々は、理由のない無差別殺人の犠牲者でした。戦争による殺戮の犠牲者とも違う、また人間

関係のこじれによる殺人の犠牲者でもありません。たまたま地下鉄に乗り合わせていただけです。今度の

尼崎の電車事故の場合も、たまたまこの事故にあった電車に乗り合わせていただけです。しばらく前にあ

った東武鉄道竹ノ塚の踏み切り事故も、手動踏み切りで係員の勘違いにより亡くなった方がありました

が、これも同じです。今度の事故によって、乗り物を使って通勤したり、通学したりしている人たちの中

潜在的な事故への不安が広がるのではないかと思われます。何時何処でどのような事故が起きるか予想

できないからです。そのような事故による死の危険や不安がごく平凡な市民生活の中に色濃く影を落とし

ていくように思われます。そういう現在という時代を生きる私たちは、もう一度何からはじめていかなけ

ればならないかをよく考えなければならないのではないでしょうか。何よりも一人一人の命が大切にされ

る社会を身近なところから創り出していかなければならないと思います。

 上記の私の発言に続いて、以下の発言がありました。先週の21日、辺野古にはスパット台船がくるので

はないかと心配していた。昨夜、夜中に作業をして防衛施設局側は単管ヤグラの周りに金網を張った。自

然の保護を理由に今までは夜中の作業はしないことになっていた。どんでもない時間に作業が行われてい

たことになる。それでも、反対派はロープをかけて一人がヤグラに上り、上から縄梯子を降ろし、他の人

たちも登った。防衛施設局側が帰らなかったので、夜中単管に30人ぐらいが徹夜で監視した。ネットで伝

わってくる映像では、その中にはT・EさんとT・Aさんの顔があった。日本基督教会のS牧師の顔も見

えた。単管ヤグラは板が渡してあってそこで座ることができるものだけではなく、ただ単管だけのもあ

る。その場合には、管に座るか立っているしかない。そのような状態で夜中過ごすのは大変厳しい。心配

である。辺野古での防衛施設局側と反対派の攻防は1年が過ぎた。1年以上にわたって人間同士がこのよ

うなことをしなければならないのかと思うと、悲しい。その日の夜市谷の防衛庁へ抗議に行った。Iさん

防衛庁前で夜中座り込むというニュースが、インターネットで辺野古に伝わったら、辺野古では大歓声

が起こったと言う。Iさんは実際には終電に間に合わず防衛庁前には行けなかったということである。辺

野古は距離が遠く、身近であれば、飛んで行けるのだが、そうはいかない。沖縄の人たちの状況は大和に

いると、なかなか正確に伝わらず、切り離されている感じである。私自身の中でも目の前のことにかまけ

ていて、沖縄は遠く、いつも沖縄のことを考えていることはできない。辺野古からは、経済的にも大変で

あるという情報が入ってきている。アッピールして、カンパを募りたい。私のできることは何か、祈って

いきたいと思う。