なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(327)復刻版

 あけまして・・・・ございます。今年もよろしく。

 「黙想と祈りの夕べ通信」(327)復刻版を掲載します。2006年1月1日のものです。新しい年

は戦後69年になりますが、私の思いはこの時のおもと今も変わりません。


        黙想と祈りの夕べ通信(327[-14]2006・1.1発行)復刻版


 戦後60年が終わり、新年は戦後61年目の年です。この黙想と祈りの夕べ通信は1月1日発行です。この時

に当たり、二つの詩を紹介して、新年に当たっての私の想いに代えさせていただきたいと思います。 


    「きょうだいを殺しに」       高橋留美子


 わたしたちは言わなければいけなかった

 日の丸の波に送られて

 たたかいに行く兵士たちに

 きょうだいを殺しに行ってはいけないと

 わたしたちは言ってはいけなかった

 お国のために立派にたたかってきて下さいなどとは

 国とは何なのか

 国とは何だったというのか

 わたしたちは日の丸の小旗など振って

 道に並んではいけなかった

 やがてその人の血に染まる

 千人針などを作ってはいけなかった

 わたしたちは言わなければいけなかった

 どんなに美しいことばで飾られようと

 あなたたちが殺しにいくのは

 きょうだいしまいなのだと

 わたしたちは言ってはいけなかった

 お国のために死んで下さいなどとは

 国とは何なのか

 国とは何だったというのか

 わたしたちは一度も

 そのことを考えたことがあったか

 わたしたちは言わなければいけなかった

 きょうだいを殺しに行ってはいけないと

 日の丸の波に送られて 行き
 
 二度と帰らなかった
 
 男たちに
 


 
   「わたしが一番きれいだったとき」           茨木のり子
 

 わたしが一番きれいだったとき

 街々はがらがら崩れていって

 とんでもないところから

 青空なんかが見えたりした


 わたしが一番きれいだったとき

 まわりの人達が沢山死んだ

 工場で 海で 名もない島で

 わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった


 わたしが一番きれいだったとき

 だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった

 男たちは挙手の礼しか知らなくて

 きれいな眼差だけを残して皆発っていった


 わたしが一番きれいだったとき

 わたしの頭はからっぽで

 わたしの心はかたくなで

 手足ばかりが栗色に光った


 わたしが一番きれいだったとき

 わたしの国は戦争で負けた

 そんな馬鹿なことってあるものか

 ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
 

 わたしが一番きれいだったとき

 ラジオからはジャズが溢れた

 禁煙を破ったときのようにくらくらしながら

 わたしは異国の甘い音楽をむさぼった


 わたしが一番きれいだったとき

 わたしはとてもふしあわせ

 わたしはとてもとんちんかん

 わたしはめっぽうさびしかった


 だから決めた できれば長生きすることに

 年とってから凄く美しい絵を描いた

 フランスのルオー爺さんのようにね