なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(328)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(238)復刻版を掲載します。2006年1月のものです。

 下記通信の内容は寿の越冬のことが記されています。この越冬は今年も年末年始(12月28日から1月6日

まで)行っています。私は31日に参加し、午前中の炊き出し準備と午後3時からの1300食の年越しそば

配食の途中まで参加しました。明日の3日も参加を予定しています。31日はボランティアの参加が多か

ったように思いました。かつて青年時代に青年ゼミにきたことのある人や、寿地区センターの活動に参加

したことのある人が、年末年始の越冬に顔を出す人もあって、寿の越冬が旧交を温める機会にもなってい

ます。

 今日は、連れ合いが海を見たいというので、小田急で小田原に出てJRに乗り換え根府川駅で降りて、

海を見てきました。穏やかな相模湾から太平洋に広がる海は、大きく広く、改めて海と比べて己の卑小さ

感じて帰ってきました。


        黙想と祈りの夕べ通信(328[-15]2006・1.8発行)復刻版


 年末年始の寿の越冬活動は、昨年から寿公園でのテント越冬になっています。同公園に2棟の2階建て

の大きなプレハブが建ち、200人くらいの方々がプレハブに宿泊して、聞き取り班の人が宿泊者一人一人

に聞き取りを行っていた一昨年までの越冬活動からすると、全体として活動の縮小という感は否めませ

ん。私は2日と3日の二日間、それぞれ部分的に越冬に参加しました。主に炊き出しの準備と配食です。2

日は両方に、3日は配食のときだけ参加しました。2日はカレー味の雑炊、3日は醤油味の雑炊でした。2日

の日は配食の前には冷たい雨が降っていました。私は雨に濡れてもいいように雨合羽を着て、配食は4時

から始まりますので、3時半ごろに寿公園に行きました。すでに殆ど準備が出来ていて、労働者に雑炊を

渡すところと、食べた後の器や箸を洗うところにはビニールシートが雨よけに張ってありました。そこに

溜まった水をビニールシートに穴をあけて、地面に流していました。その頃には殆ど雨も上がって、薄日

が射すほどに天気が回復していました。越冬実行委員会の方々は、1000食を予定しているが、3時過ぎま

で雨が降っていたので炊き出しに来る人が少ないのではと言って、「おかわりができます」と、食べて帰

る人に声をかけてくださいと言われました。私は、整理の役柄を引き受けましたので、食べ終わった人

器はあちらに持っていってくださいと言ったり、おかわりができますから、また並んで食べてください

と、声をかけました。洗い場では、朝の準備の時にも来ていましたKさん親子が一生懸命食べた後の器や

箸を洗っていました。5時半過ぎになる頃には、1000食がはけて、これが最後です、という声があり、配

食が終わりました。後片付けを手伝い、6時過ぎに引き上げました。翌3日も配食の時に参加しました。そ

の時は気をつけて見ていましたら、3回から4回おかわりをしていた人がいました。私は炊き出しの光景を

見ていますと、福音書の5000人の共食の物語を想い起こします。イエスさまのところに集まってきた人た

ちも、現在で言えば日雇い労働者や野宿労働者のような人々ではなかったのではないかと思うのです。私

も一食いただきました。ちょうど今年はじめて寿の越冬に参加したというカトリックイエズス会の神学

校の学生で、将来は神父になるという青年と一緒に。彼は東京の四ツ谷で野宿労働者のパトロールをして

いて、その仲間の人から誘われて寿の越冬に来たと言っていました。寿地区センター主催の青年ゼミに夏

と秋に参加した青年も数名来ていました。その中に明治学院大学3年生の人がいて、3年生の冬でこの時し

かないと思って、この年末年始は越冬にほとんど参加していると言っていました。プレハブの越冬の時に

は、何人もの青年が泊まりこんでいましたが、その時のようには青年は目立ちません。それでも越冬に参

加する青年たちの存在は大きく感じられます。辺野古に引き付けられる青年たちが、辺野古のおじい、お

ばあの言葉や生き様、ヘリ基地に反対する人たちの平和への熱い思いによって変えられていくということ

を聞いています。事実そうなのでしょう。寿に関わる青年たちも、きっと寿から何かを感じ取ってくれる

に違いありません。そういう青年に問いを突きつけるような現実の場所は、私たちの生活世界の中にはそ

う多くはありません。渋谷や新宿やみなと未来のようなところは、青年の欲求を満たす魅力は多彩かもし

れませんが、立ち止まって考えるという場所とは言えないでしょう。そういう意味でも、寿のような寄せ

場は最終的にはなくなり、寄せ場を必要としない社会になることを願いますが、現在にあっては貴重な場

所ではないかと思っています。