なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(344)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(344)復刻版を掲載します。2006年4月のものです。

 下記には私の牧師再任のことが記されていますが、このことは、紅葉坂教会16年間の牧会生活の中での

苦い体験の一つです。私は、この再任の件を役員会で決めたときに、4期16年で紅葉坂教会の牧師を辞す

ることを申し出て、役員会も承認していました。結果的にその通りになり、私は2011年3月末をもって紅

葉坂教会を辞任しました。ところが、ご存じのように、この2006年4月から2011年3月までの間に、教団に

おける私の教師退任勧告及び戒規免職処分が起こり、現在に至っているわけです。

         
          黙想と祈りの夕べ通信(344[-31]2006・4.30発行)復刻版


 私の再任の件で臨時総会が開かれました。3月に開催された2006年総会Iでの議決が問題だということ

で、再度この件が総会に諮られました。この度の臨時総会では再任が可決されましたが、気分のいいもの

ではありません。翌日久しぶりに連れ合いに誘われて、大和の公園を散策しました。ちょうど芝桜が斜面

一帯に咲いているというので、それを見に行こうと出かけました。芝桜の絨毯は見事でした。それだけで

はなく、私が大好きな花の一つ山吹も見事に咲いていて、私としては大変満足でした。ところが、その公

園を散策している一時間半くらいの間に、多分米軍の空母の艦載機と思われる飛行機が、一機、二機編

隊、四機編隊で公園の上空を飛んでいました。海上自衛隊の日の丸のついた飛行機も飛んでいました。ま

た円盤を背負ったような飛行機も飛んでいました。何と言っても艦載機らしき飛行機が出す爆音は、聞き

しに勝るもので、ゴーと、そばにいる連れ合いとも話す声が聞こえないほどでした。前から厚木の爆音訴

訟については知っていましたが、百聞は一見にしかずです。米軍再編においてこの艦載機が岩国基地に移

ることになっています。岩国は艦載機移転には住民投票でも反対で、今回の市長選でも反対の井原市長が

当選しました。また米軍再編での日本が負担する費用が3兆円と言われています。この前アメリカで行わ

れた最終調整の新聞報道の中に、ラムズフェルドは日米同盟に基づく日本の側の戦略が分からないといら

だっているとありました。アメリカには世界戦略があり、それに日本も組み込もうとしているものと思わ

れます。本来ならば日本には平和憲法に基づいた世界平和への戦略の可能性があるはずです。交戦権を放

棄して、外交による他国との友好関係を構築するという道です。戦後の日本の政治は一方的にアメリカと

結びつき、アメリカの傘のもとに入る道を選びましたので、世界平和への戦略を自ら放棄してしまいまし

た。残念で仕方ありません。

 以上の私の発言に続いて一人の方の発言がありました。私は牧師再任の臨時総会で発言を用意してい

た。私は福音書の「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない」というイエス

の言葉は大切だと思っている。このイエスの言葉は法に人間が縛られるのではないということが語られて

いるが、今回の再任の問題は法に縛られたところで起きたと思っている。牧師の任期があるということ

は、その任期をどのように使うかが牧師と信徒には問われていると思う。牧師と信徒とが同意して次の任

期をその牧師に託くそうとするか。牧師に退いてもらおうと信徒が思い、それでも牧師が次の任期も働き

たいという時に、任期更新の機会に牧師を諭すことで任期を設けている意味があるように思う。任期があ

るから、その間忍耐と我慢をし、再任の時に反対を表明するということは、任期が縛りになっているので

はないか。一年毎に牧師と役員会とで確認して4年の任期に至るべきだ。お互いの思い込みや憶測ででは

なく、意志の疎通を積み重ねていくべきである。

 また、別の方から発言がありました。今日の聖書箇所ヨハネ10:11-30を黙想し、羊のためにいのちを

捨てた羊飼いの愛と小さくされた者について考えていました。イエスは小さくされた者を命さえ惜しまず

に愛し、共に生きた方であるが、現代の複雑な社会では小さくされた者が誰であるかはっきりわかりにく

い事がある。どちらの立場に立つかで見えてくるものが逆転する。解決を急いで早急に結論を出すのでは

なく、苦しみながらも祈りつつ、粘り強い対話と事実の究明、互いの偏見からの解放、理解の中から解決

を求めていく者でありたいと願う。とても苦しい道のりだけれども。